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2012年5月13日日曜日

怒りを明日の光へと変えて

ようやっと年度末決算も終わって、企業内で会計士の仕事をしている僕も一段落。年明けからずっとSport Solutionも本業も走り続けて、ようやっと「実行」は一つ区切りがついた今、ずっとどうしても書き記しておきたいと思っていたことをここに文章にしておこうと思う。この経験、この事実は僕の心の中で消せぬ現代社会への怒りとして、その不条理をどこまで自分の行動によって治癒することができたのかを強制的に直視させるものとして、僕の心を縛り続けるだろう。

プロジェクト結の活動に参加し、学校のブランコのペンキ塗りをするWyjuana

3月12日のバスケイベントに向けて、いろいろな方に話を伺っていた1月から3月。石巻の先生に会い行ったとき、ちょうどプロジェクト結のボランティアの振り返り作業を行っており、その振り返り会を見学させてもらえることになった。

50歳程度の年長者から高校三年生まで、会社の社会貢献活動の一環として来た人もいれば、自費でボランティアに来ている人、そのバックグラウンドは様々だった。

その中で、高校3年生の女の子が目に涙を一杯にためて話した言葉を、僕は一生忘れることはないだろう。

「友達に、自分でお金払って、休日まで潰してまでなんで東北なんかに行くのって聞かれた時に、胸を張って”誰かの役に立ちたい”って言うことができなかった」

そのおとなしそうな女の子は大学では心理学を学び、人の心のケアをしたいという。活動の一週間のうち、始めの方の日程で体調を崩してしまい、力仕事にあまり参加できなかったようだった。

「人の役に立ちたいって来たのに、迷惑をかけてしまった。同じ高校生でも、大人に積極的に声をかけてリードしていた人もいた。みんなみたいに、もっと強くなりたい。こんな自分で悔しい。」

何か、この風景はおかしくないだろうか。

人の役に立ちたいと心の底から思っていて、行動に移したその心優しい女の子が、ただ、ただ涙を流すその姿に、僕はぶつけようのない怒りと自分の無力さ、そしてこの日本の惨状を見た気がした。なんと貧しい社会だろう。たくさんの命がなくなった大震災の直後、自然に苦しむ人の役に立ちたいと思った結果が、その人自身の心の苦しみを生むことになるなんて。


経済発展を追い続けた日本。その行き着く先に求めていたのはこんな現状だったのだろうか。戦後、復興を胸に生き抜いた先人たちは決してこんな未来を描いていなかっただろう。誤った経済発展の終着地点に到達してしまったこの日本。もう一度、光のある方向がどこなのか地図を描き、誰でもそこまで行けるようなレールを強い意志で構築していかなければならない。


泣いていた女の子へ。

本当にごめん。僕らが大人が不甲斐ないせいで、苦しい思いをさせてしまった。


10年後、20年後、また彼女にあうことができたとしたら、彼女は笑顔でいられる社会になっているだろうか。10年後、20年後、心優しい高校生が苦しむ人たちに手を差し伸べたとき、生きる喜びと出会えるような社会となっているだろうか。もし、そうなっていなかったとしたら僕はまた無力感に包まれ、今度は僕自身がその環境を日本に作り出した一級戦犯の一人として、罪悪感に苛まれることになるだろう。

僕だって時に不安になるし、信じたい。3月12日の東北でのバスケ教室が、少しでも子供たちの明日を照らす光につながっていくものだったということを。


走っていきたい、困っている人を助けることが賞賛され、誰かのための小さな挑戦が生きる喜びの連鎖を生む、そんなことが近い将来、当たり前の社会になっているように。

2012年4月24日火曜日

バスケプロリーグJBL・トヨタの優勝と変化の予感


4月22日、トヨタが5年ぶりの優勝。長い間覇権を握ってきたアイシン王座を奪い、全員バスケでトヨタがアイシンに完全勝利する形で2011-2012年のJBLシーズンは幕を閉じた。





アイシンの負け方を見て、ひとつの時代が終わった気がした。個々人の能力の足し算で勝利が決まっていたバスケットから、チームで闘うバスケへ。バスケをプレーすること自体が職業としてなりたっていた環境から、応援されるチームが質実ともに持続的に成長し、頂点を極めるという風潮へ。

この変化は、他のスポーツ業界から比べれば、とても遅い変化なのは指摘される点かもしれない。野球、サッカーはとっくにその風潮になっている。けれども、これからバスケ界に確実に変化は起きる気がする。決して遅くは無い、野球ともサッカーとも違う成長を追い求めていける。

僕自身、スポーツ関連のNPOを経営していることもあり、平等性の観点からも僕自身がひとつのチームを過度に応援することはあまり望ましいことではないのは事実。それでなお今年のトヨタには応援する理由があった。何回かお話しする機会があった岡田優介選手、伊藤大司選手の存在が大かった。


岡田選手にはなぜ、日本代表の活動を続けながら公認会計士の資格を目指したのか聞いたことがある。そのとき彼はこんなふうに応えていた。「バスケットボールの日本代表というバスケット選手として一番難しいチャレンジ、そしてビジネスの資格の中で最も難しい資格のひとつとされる公認会計士、両方を同時に達成することでアスリートであっても文武両道を達成できることを証明したかった。実は絶対に公認会計士ではなくてはいけないということでは無かった。一番困難な挑戦の一つとして公認会計士試験があったから、それに打ち勝つということを達成したかった」
自身の得点能力を犠牲にしてまで相手の司令塔に対して執拗にディフェンスプレッシャーをかけ続け、アイシンのチームワークに大きなダメージを与えた。



伊藤選手は高校の頃からアメリカにチャレンジし、世界の大学リーグの中で格段に競争が熾烈なNCAA一部リーグで2年生の頃からキャプテンを務めた選手。彼にも、海外に挑戦した経験について聞いたことがある。「子供達には少しでも早く世界にチャレンジして、その興奮を体感して欲しい。海外挑戦の興奮を子供達に知って欲しい」
アメリカの大学出身らしく情熱をコート上で露出する伊藤選手。優勝が決まったときも歓喜の雄たけびを上げていた。



二人の話を聞いたとき、日本のバスケの何かが変わる気がした。彼らは「バスケが好き」その想いが何より一番で突き動かされているのは間違いない。けれども、彼らがその気持ちを追い求める先に待っているのはバスケ界の発展だけではない。彼らがバスケットを追及する先には、自分以外の誰かを勇気付け、挑戦のエネルギーを引き出す光がある。そして、その輝きはバスケットボールを好きではない人間さえも照らすだろう。

偶然か、必然か、若者のキャリア教育の問題が叫ばれるこの時代において、トップアスリートがビジネスにチャレンジする姿は子供たちに鮮明に突き刺さるだろう。偶然か、必然か、国際コミュニケーション能力の世界的劣後が叫ばれるこの時代において、単なるスポーツ留学ではなく、学業にも厳しいアメリカの4年生の大学でしっかりと勉強し、アメリカ人に対してリーダーシップを示した姿は海外コミュニケーションのあり方を提示するものとなるだろう。今の日本社会で重要かつ喫緊の課題に解決策の方向性を提示できることにおいて、この二人は突出したものを持っていると感じるのだ。バスケットというフィールドだから分かりづらいのが苦しい。けれどもこの凄さは、事実さえ伝播させればメッセージは必ず伝わる。



震災の被害が大きかった石巻市でのバスケクリニック。岡田選手や伊藤選手の想いを受取った子供たちの中から、世界を牽引する人間が登場するに違いない。



そんな彼らが震災から1年明けたこのタイミングで想いを果たして優勝した、それは大きな意味がある。バスケットボールだけではない、日本のスポーツにとって意味のあることのように思うのだ。この熱が冷めないうちに子供たちの未来の明るい連続へと繋がるよう、彼らの想いがもっと多くの人に届くよう、少しずつ僕自身も挑戦を積み重ねていきたい。

岡田選手、伊藤選手、二ノ宮選手、そして仙台89ersの選手とともに行ったクリニック
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ずっと応援してきたからこそ、この文章は主観的で偏りがあることは百も承知で。けれども、全く面識の無い時から、心の底から応援するようになったきっかけは嘘じゃなくて。そして応援している人の夢が叶った瞬間の気持ちを書き記しておきたくて、こうして文章を書いています。来年からは、もう少しニュートラルでいかないとですね(笑)。トヨタが王者から引き摺り下ろされる危機感を感じるようなライバルができるよう、色々なチームのサポートに力を入れて行きたいと考えています。

2012年3月16日金曜日

夢の続きを。

久しぶりの更新です。

最後に更新してから、壮絶な時間を過ごしていました。

活動を追ってくれている人はご存知だと思いますが、ずっとSport Solutionのプロジェクトの準備をしていました。Sonicsでインターンをしていた時にお世話になった上司のWy、そして旦那さんのFred。この二人が3月9日から3月14日まで来られることになり、それが決まってからというもの、決して止まれない、詰め切れていないものがたくさんある、けれど走り抜けるしかない、そんな状況でした。仲間に助けられ、励まされ、全ての日程を無事に、むしろ想像していたよりも強い手応えを感じることができました。Fredを中心としたPassion Camp、WyのNBAでの経験を凝縮したセミナー、東北でのバスケ教室、全てが無事に終了しました。


「日本バスケとNBAの架け橋になりたい」

高校生の頃に描いていた夢は、Sonicsのインターンを通じて上司のWy、その旦那さんのFredと出会い、具体的な言葉に置換わりました。


「WyとFredを日本に呼び、日本で子供達が本場のバスケを触れる環境を作りたい」

今回、その夢が叶いました。



「bjリーグとJBLを繋ぐ架け橋になりたい」

その想いも、東北の方々の温かいご協力を得ることで実現しました。


SMRGという組織で体を動かして活動をはじめた20歳の頃から約7年半年。ここまで来るのには長い道のりがありました。活動を重ねる中で、いつのまにか仲間の夢を叶えることが夢になり、その夢もまたこの数日間で実現していきました。夢を叶える、それはある人にとって遥か彼方にあるものなのかもしれません。けれども、夢焦がれた夢が今実現し、何か不思議な気持ちでいます。もちろん、これは始まりにすぎません。ただ、夢が叶ったと胸を張れる瞬間が、この数日間にいくつもあったのは確かなのです。


自分の夢を叶える過程で、色々な人の想いが体を通り過ぎて行き、頭の中が一杯なのか、空っぽなのか、よく分からない感覚です。お世話になった方々に一刻も早く報告をと思いブログを書き始めましたが、うまくまとまりません。


また、少し心が落ち着いたら皆さんに報告したいと思います。

支えて下さった全ての皆さん、本当にありがとうございました。少しだけ休んで、また歩き出します。

Hiro

 (3月14日オクラホマに帰っていくWyとFredと一緒に成田空港で)

2012年1月1日日曜日

2012年の成長テーマ「受容」「牽引」そして「笑顔」


毎年言ってる気もするけど、今年は本当に勝負の年。今年のテーマを宣言します。

と、その前に2011年のテーマはなんだったかというと「謙虚」と「安定感」。ちょっと仕事ができる様になって何でもできる様な錯覚に陥ってトラブルに陥ったり、トラブルに陥ったらパフォマーンスが下がった2010年を反省して設定したこのテーマ。

プライベートのコントロールによる体調管理なんかも含め、個人として仕事をする分には2011年のテーマはおおむね達成できた様に思う。

(色々なことがおきて色々なことに踏み込んだ2011年。これは6月に被災地に行った時の写真。隣に写っているのは大学を卒業して間もないにも関わらず、現地で年上の社会人を臆することなく仕切っていたボランティアコーディネータの沢村くん。きっと近い将来に震災後の日本を象徴する一人となるのだろう)

2011年に出会った新たな課題。それは沢山の人を巻込みながらモノゴトをコントロールする力。年が暮れるにつれて色々と重大な仕事を任せてもらえるようになってかなり業務がパンパンになって嬉しい悲鳴がある一方、このままだと確実にパンクすることに気がついた。

自分を新しい次元に進めるためには縦横の関係を問わず、変幻自在に色々な人とタッグを組み、ゴールを達成していく力。有名な著書、7つの習慣にも出てくるデレゲーション(委任)能力が必要。仕事が加速度的に難度が高く、量も多くなっていく中NPOもあるとなると、仕事が休日に食い込まない様にコントロールしなくっちゃ行けない。

だから今年の成長テーマは以下の2つにしたいと思っています。

「受容」と「牽引」

モノゴトを誰かと一緒にやろうとしていく時、丸投げや過度な期待は絶対にうまくいかないことを去年痛感した。まず相手を深く理解し、相手のモチベーションの源泉がどこにあるかを理解することが必要。そして自分の考える完璧を押し付けず、モノゴトを成し遂げた結果が相手の考える理想に近づくものである様、アジャストしなくてはいけない。共に歩むとき、相手を丸ごと受け入れ、考え方や価値観の違いを受け入れられるように自らの器を大きくしていきたい。

ただ、受け入れるだけでは足りない。人の心が大きく動く時、それは自分も想像し得なかった情熱に触れ、その先にあるビジョンが見えたときだと思う。この人間と一緒であれば、自分の夢の達成だけでなく、新たな未来の一部を創る当事者になれるかもしれないという感覚が必要。個人の力を120%まで引き出し、1+1=3にする力。どんなに条件が悪かろうが、足りないものが有ろうが、仲間の力を最大に引き出して結果に結びつけていく能力や信頼関係を意識していきたい。

その二つを力をつける上で一番大事だと思っていること。それは

「常に笑顔でいること」

どんな違いも笑顔でうけいれ、どんな問題もワクワクしながら笑顔でチャレンジする。これができればどんな困難だって仲間と乗り越えていける。

震災後、切迫した気持ちの中で、やはり自分自身の笑顔が失われていた様に思う。自然と周囲も厳しい顔になって、後輩にも無用なプレッシャーを与えていたように思う。去年の5月頃は元NFL・NBAのチアリーダーの柳下容子さんと笑顔を広げるプロジェクトをやっていたにも関わらず、いつのまにか自分自身がだれよりも笑顔でなくなってしまったのは本当に恥ずかしい事だ。
(容子さんと一緒に作った笑顔のラジオ体操。あの時に実感したはずの笑顔の大事さを、今本当に痛感している)

部下からミスの報告を受けたとき、仕事の仲間が期限に間に合わなかったとき、起こってしまったことを責めての何のプラスにもならないのは誰もが分かってること。やるべき事はミスを埋め合わせる心のエネルギーを引き出す事なのに、感情が邪魔をして怒り、相手の心のエネルギーを殺ぐことになってしまう。

2012年、僕だけじゃない、去年の震災から歩みを進めみんなが笑顔になれる年であって欲しいし、そうなるように行動していかねば。

みなさん、笑顔でない僕がいたら、注意して下さいね!もう1、2年で海外への赴任も現実味を帯びてきた中、残された日本での時間を思いっきり笑顔で過ごしたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

2012年1月1日 元旦 田中 裕之



2011年12月31日土曜日

Point of No Return

2011年12月31日、今年も残すところあとわずか。2010年は自分にとって長い暗闇から抜け出した年だった。2011年は僕の中でどんな位置づけの年と言えるだろうか。

自分の歩む道を決め、退路を断った。恐らく、2011年はPoint of No Returnを踏み越えた一年だったんだと思う。

2011年は本当に色々あった年だった。きっと多くの人にとってもそんな年であったと思う。2011年3月11日の大震災。その不安の最中の姪っ子の誕生。家族と思えるような仲間との協同生活のスタート。自分の一番のヒーローだったSteve Jobsの死去。そして、年の瀬にNPO法人Sport Solutionの設立総会の実施。

(元WJBL選手の神事さんと一緒に行った気仙沼。その光景の壮絶さを表現する言葉は未だに見当たらない)

今までは想像でしかものごとを語ってこなかったけれど、色々な外部的な出来事の中で心が打ち震え、今年は情熱をカタチに変える為の決意をした大事な1年。


想い描く社会を現実化させていくためにはどうすればよいのか。そう考え、もがき苦しむ中で先ず分かったこと、それは自分の想いを現実化させるには、あまりにも今の自分には力が足りないこと。2010年、自分という刃を磨ぎ続け、走り抜き、自分にもある程度自信が持てるようになった時に分かったのは、未来を創っていくために想いを共有し共に走る仲間が必要だということ。そして、2011年、仲間と共に活動する場をつくり、仲間から信頼を勝ち得ようとしたとき、何がなんでも仲間の想いを形にし、次世代に未来を創っていくことへの決意と実行力が必要だということが分かった。

少しだけ、恐れと迷いが心を包んだ。もし、このまま夢の達成の為に生きるのなら、壮絶な程に走り続けなくては行けない。今持っている多くの事を捨て去らねばならない。

「自分は持ちこたえられるだろうか」

「もし、自分の言っている事が達成できなかったとしたら、多くの人の信頼を失い、惨めな人生を送ることにはならないだろうか」

けれど、その迷いと恐れをぬぐい去るのに、多くの時間はかからなかった様に思う。ここで踏み出さなかったときの30年後の自分を想像してみる。2011年に挑戦しない選択をしたことに後悔し、自分を責めているだろう。


日本人自身が日本人をバカにし続けた1990年代に幼少期を過ごした僕は、日本人が日本に生まれた事を誇りに思い、そして幸せだと思える様な社会をつくりたい、そして自分自身が生まれたこの国と仲間を世界中に自慢したいとずっと思ってきた。この夢に挑戦しない人生など自分にとってはありえない。


その為に、世界一の街を日本につくること。そのシンボルとして世界一のアリーナを建設すること。

そのアリーナにはもちろん世界一のスポーツチームがあって、自分の街を誰もが世界一だと思えるような街。スポーツイベントを通じて街の人々は定期的に顔を合わせ、仲間との繋がりとこの街に生まれた喜びをかみしめる様な街。世界一のスポーツを見るために、海外からも沢山の人が訪れる様な街。僕は人生をかけて、この夢を実現させたい。きっとその中心にはバスケットボールがあって、バスケットボールというテーマで世界を一番を感動させた漫画スラムダンクを超える様な感動がそこにはある。そんな夢を、そんな未来を僕は描いている。


心の底から愛しているバスケットボールを通じて誰かの役に立てる、そんな人生より素敵な人生は今のところ想像もできないし、きっとそれ以上の人生に出会う事も無いだろう。もしもっと素敵な何かに出会うとしたら、その夢が叶ったあと、違う人生に踏み出した時に見えるのかもしれない。

Steve Jobsはその晩年に何を思ったのだろう。彼は描いていた夢は叶えられたのだろうか。叶った先に、何を見たのだろう。数々の偉大な発明を残した彼も、死という生命の最大の発明の中に消え去ってしまった。


3月11日、大きく揺れるビルの中で初めて自らの死を意識した。自然が多くの命に覆い被さって自然の中へと引き戻していく中で、沢山の死がすぐ近くで訪れていることを感じた。いつ、何が起こるかなんて分からない。いつか自分も生命という流れの中に消え行くのなら、あとに続く命に何かを残したい。そして、いつその瞬間が訪れたとしても胸を張って自分の一生を振返れる様にしたい。

もう、戻れない。少しの時間も過去にすがることは許されない。けれど、恐れは無い。いつか自分という存在が無になるのならば、せめて自分の生きた足跡が次の世代につながる様、どんな批判も、どんな困難も未来への糧として受け入れていこう。この目に映る全てのものを挑戦として前に進んでいくのだ。2012年はそんな断固たる決意で突き進んでいきたい。
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2011年お世話になったみなさま、本当にありがとうございました!相談させて頂いたり、実際にサポート頂いたりと、本当に色々な方にお時間を頂きました。そのご支援を無駄にしない様、2012年は行動、実践して、その結果をご報告することで恩返しをさせて頂ければと思っています。2012年もどうぞよろしくお願いします!

2011年12月16日金曜日

僕らの未来を取り戻せ。

世界を悲観する傍観者の声に呑まれてはいけない。オトナ達が作り出した幻想の暗い未来から僕らの未来を救い出すなら今しかない、そう強く、強く感じている。この叫びが、どこか、同じ想いを持つ人に届き、いつか志を共にできることを信じて。

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日本人であること、日本人として生まれたこと。僕はそれを誇りに思うし、幸せに思う。

けれど、ふと周りを見渡すと、政治家をみて日本はダメだと嘆き、 GDPを見て日本はもう成長しないという。テレビや新聞を通じた日本悲観論、日本劣等論に一喜一憂し、ソーシャルメディアはネガティブなコメントで溢れかえる。  

ふと、自分の生活を振り返って見る。そんなに、生活に苦しんでいるだろうか。そんなに不平等だろうか。いま苦境にあるとすれば、よくよく考えれば原因は自分に無いだろうか。

日本ほど物的に豊かな国はない。これは断言できる。日本は世界一物的に豊かな国で、世界一、機会格差と貧富格差のない国だ。 

こんなにも誇るべき国を、一部のオトナ達の扇動によってナゼこんなにも汚されなければならないのか。子どもの頃を思い返してみる。ニュースで日本人が日本を褒めていたことがあった覚えが無い。 僕はずっと子どもの頃から日本人自身が日本を蔑む風潮に違和感を感じてきた。そしてそれだけ問題意識があるなら、文句をいう当人がナゼ行動しないのかと嫌悪感を抱いて生きてきた。 

世界のリーダーと言われたアメリカでは、格差縮小を求める暴動が後を絶たない。欧州危機でヨーロッパ各国では失業者の増加はとどまることを知らず、クリスマスの起源である欧州の街灯からクリスマスイルミネーションが消えた。中東各国では革命の中、多くの尊い命が失われた。実生活が脅かされている他国を見ても、結局は安定した生活を送れている日本がどれほど恵まれているかが分かるだろう。 

日本で物質的な豊かさが飽和してしまったその時、逆に心の豊かさは失われてしまったのかもしれない。だが、これはいつか成長の先に国家が必ず辿り着く場所だと思うのだ。僕たちは経済の飽和の先にある精神的な豊かさを追求する道を探さねばならない。 その道を世界に示すことができた時、日本は世界に歩むべき光を示すことができると僕は強く信じているし、そう考えたら日本の未来は決して暗いものなんかじゃない。 僕ら世代の知らぬ戦後の復興の様に、きっと日本はまた甦ることができる。



傍観者のオトナ達よ。勝手に僕らの未来を汚さないでくれないか。戦後、失った友の命の分も懸命に生き日本を甦らせた偉大なる先輩達の功績に乗っかってきただけの貴方達の言い分はもうウンザリだ。他人を批判するだけしておいて、何も行動しないなんてカッコ悪いことはもうやめようじゃないか。もうそろそろ僕はワカモノ達からオトナ達へとくくられる。けれども、僕は傍観者だらけのオトナ達の世界に足を踏み入れるつもりはない。僕が選ぶのは、未来に向かって歩む行動者の世界だ。 

震災によってやっと僕たちに何が足りないのか、何が本当に大事なのか、僕らは実感することができたんだと思う。行動しなければこの国の中で大切な命が時間とともに失われていく感覚は今まで僕らが経験し得なかったことだ。震災で失ったモノは本当に大きい。けれど、被害を受けなかった人間まで下を向いてはいけない。批判の目、既得権益、些細な体裁にとらわれて国家の再建が遅れていくことは震災の悲劇の再来を意味することになる。

忘れてはいけない。暗い日本の未来は傍観者のオトナ達が勝手に作り出した幻想で、いつだって僕らの未来は 僕ら自身の手の中にある。そして次世代の子供達の未来も、今を生きる子供達の手の中にある。僕らが次世代にするべきことは彼らに未来を押し付けることではなく、彼らが自らの足で立つその日に自らの道を選択できる様、道を切り開くこと。 

先ず僕たちが自分の歩んできた道を誇れる様、精一杯自らの足で今を歩むこと。公明正大を貫き、堂々と胸を張れるような 歩み方をすること。進むべき方向に困難がある時は臆せずに立ち向かうこと。 僕らが僕らの未来を掴んだ先に、きっと次世代へ輝ける選択肢を残すことができると僕は強く信じている。



意志ある人たちよ、今、立ち上がろう。今こそ、僕ら自身の手で僕らの未来を取り戻すのだ。


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日本人が日本を誇りに思えない現状への悔しさを、自ら現状打破へと動き出す意志を、次世代には同じ悔しい思いをさせないという決意を、そんな想いを共有できる仲間とやっと出会うことができました。

充電だけの時間は一旦終わり。これから本格的に動き出します。具体的に近日中にNPOを発足させます。このblogを読んでくれているみなさんに、これからは僕の考えだけではなく、僕たちがとっていくアクションを報告できる様に頑張ります!

2011年6月17日金曜日

「組織」と「想定外」

2011年6月16日の日経朝刊から。東京を直撃するM7.3の地震は30年内に70%の確率で起こり、想定損失は112兆円という。今すぐ日本が大きく変わらないと、どうやら関東の人間に未来は無い様だ。 信憑性は分からないが、この数字が嘘でもいいと思う。一人一人が当事者意識を持ち、日本が変わるきっかけになるならば。

メディアは政府を叩き続ける。遅かれ早かれ管政権は確実に退陣するだろう。しかし、誰がリーダーになってもかわりやしない。もはや政府がどうこう言っている場合ではないのだ。そもそも今回の事態を誰もが納得できる方法で解決することなど不可能だ。今回の「想定外」は恐らく人間一人が扱えるキャパシティを超えている。

言葉の遊びではないが、想定外の事態を既存のルールが想定できる訳はない。組織はルールの成文化によって成り立つ。ルールを超えようとするとき、その責任は組織に属さず、個人に跳ね返ってくるから個人は怖くて動けない。組織として動けるようになるにはルールを変えるしかないが、ルールは未来の行動に大きく影響を与えるため、例外をルール化してしまうと大きな弊害が発生することがある。そうやって未来に起こりうる弊害をあれこれ想定しているうちに、大切な時間、大切な命が失われていく。

想定外に組織は対応できないのだ。想定外が全てを変えるこの時代に組織に未来を託すこと自体が間違いなのだと思う。リーマンショックが起きたとき、その「想定外」を「ブラックスワン(映画のブラックスワンとは無関係)」というふうに表現した本が流行ったこともあった。

想定外を超えるのは、結局は個々人がバラバラの情報から真実を掴み方向性を見いだす適時適切な状況判断力、利害を超えたコミュニティによる相互補助の力だと思う。 結局は個人が強くなること、生きる上で必要な仲間を自分で作ること、その総体でしか日本は次に来る危機を乗り越えられないのではないか。

人任せの体質がこの日本を蝕んでいく。少しずつでいい、個々人が体を動かし、現場から感じ、現場から学び、日本の未来の為に行動を起していくこと。その積み重ねでしか日本は変わっていかないのではないかと思う。

だからこそ、まず自分自身が動き続けること。現場を見て、動いて、そして学んだものを基に常に自分を変化させていくこと。それを大事にしていたい。













2011年4月25日月曜日

震災前、震災後。

2011年3月11日。目の前の世界が変わってしまった。そう考える人は僕だけではない気がする。世界が変わったのか、モノの見方が変わったのか、自分が変わったのか、分からないけれど、確実に何かが変わった。

僕らは長い歴史の連続の中にいて、その一瞬の輝きでしかない。そして、自分の努力とは無関係にその輝きは、いとも容易く吹き消されてしまうものだということ。

無宗教の僕らに信じる神様はいない。死の危険にさらされたとき、どんなに祈ろうとも誰かの神様は僕らを助けてくれない。だからこそ、死の淵にさらされたときには信じるものは仲間しかいない。



ただ、それ自体は憂うことでもないとも思うのだ。



懸命に生きた輝きは、次世代の道を照らす連続へと繋がる。加えて言うなら、言葉を与えられた人間は物理的に遺伝子としてだけでなく、形として仕組みや思想を次世代に遺す事さえできる。仲間を心の底から信じることができれば、宗教を持つ人が神と位置づける様な心の存在を、生きている間に肌で触れて温かさを感じることができる。

起こってしまったものは変わらない。そして日本がどうあろうとも世界は止まってはくれない。きっとこの震災の本当の問題はゆっくりゆっくりと姿を現し、日本社会全体に大きな挑戦を突きつけるだろう。

この後にどんな大洪水が日本を襲おうとも、僕は日本人として日本と共にありたい。これから忍び寄る問題を日本が解決できないなら、どの国に行ったって同じだと思うのだ。日本ほどに苦難に耐え、隣人を信じられる国など無いだろう。もし、日本が証明できないなら、どんな国だって同じような困難を乗り越えることなどできないだろう。

グローバル化の潮流の中でもはや時代錯誤の捉え方かもしれないが、僕は「日本人」として胸を張って、強く生きていきたい。


最近、そんなことをずっと考えている。

2011年1月30日日曜日

日本のバスケにもっと自由を。

日本のバスケには自由が少ないと思う。心の底からバスケを愛してしまった結果、逆に納得のいかない人生を過ごしてしまう人もいるのではないかと思う。僕自身バスケに足を取られ、危うく納得のいかない大学生活になってしまうギリギリのところまでいった。

日本でバスケとともに歩むという事、その先にある希望に満ちた選択肢は、多いとは言えない。そう強く感じる出来事が最近あった。

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bjリーグの東京アパッチのボランティア後、ボランティアの参加者と飲み会を開催したら、学生が沢山参加していた。たまたま、隣に座った大学一年生がNBAでの経験を聞きたいと色々話すなかで、その学生がボソッと漏らした。

「このまま学校にいると、満然と四年間が流れてしまって、何も残らない四年間になってしまう気がして怖いんです」

その学生は名門大学で、傍から見れば羨ましい学校生活を羨まれるような立場にいる。今の学生を襲う不安感とは、きっとこういうことなのだろう。輝かしい選択肢や、充実した毎日が目の前にある時に人間に起こる現象は「迷い」だ。しかし、目の前に未来が見えない時、人間が感じるのは「恐怖」なのだと思う。大学生になれば、義務教育の延長である受験から開放され自分で選んだ専門の中で学生は好きなことができる、輝かしい未来を描ける、、、ハズだ。そうあるべきだ。しかし、今の日本の高等教育はそうなっていない。

大学にはいれば、使えるかもわからないマクロ経済だの法律体型だのを教授が黒板に書きながら一方的に話すだけで、何が自分の役に立つのかサッパリイメージが湧かない。金太郎飴しかできない教育の中、学生は就職活動をするタイミングで自分にアピールできる武器が殆どないことに気がつく。就職活動が早期化する中で、その現象はますます加速するだろう。
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日本には自由が少ない無いと感じるのだ。物質的な欲望は満たされ、不足するものなど殆ど無いハズにも関わらずだ。自由とは、今与えられているものが多いか少ないかによって決まるのでは無い。これから自分に迫ってくる未来を自分の意思で決めることができるかどうかによって決まるのだと思う。それはお城の中のジャスミン姫が庶民の暮らしに憧れるのと同じだ。だから自由の大きさは自分にとって素敵な選択肢が目の前にどれだけ多くあるかによって左右されるのだと思う。成熟しきってしまった日本社会で輝かしい未来を見出すのは難しい。本当は大学はそういった社会の中で何を心の拠り所に生きるかを伝える場所であるべきではないかと思う。

そして、日本のバスケはどうだろう。子供の頃バスケという選択肢にめぐりあい突き進んだ結果、愛したバスケットと歩みたいと心の底から思ってしまった時、目の前に選択肢は殆どないことに気がつく。経済的な充足をかなぐり捨てなければ選ぶ事ことのできないバスケという道を多くの人は諦めていく。
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僕が20歳の時、bjリーグもなかった2004年夏、僕の求める日本のバスケに関わる為の道が全くない事が分かった。バスケのクラブ運営に関わるには大企業に入り、運良くスポーツの担当になれれば関われる。でも任期も短く、すぐに他の部局に回される。バスケの実績が無い僕には、他の手段は、無い。自分にとっては衝撃の事実だった。バスケを愛する気持ち以上に誇れるものなど無かった。けれどバスケが好きな気持ちを変える事はできない。実績もない。バスケ以上好きにななれるものに巡り会える自信など、微塵も無かった。

日本のバスケとともに歩んで行く事が僕の中で恐怖に変わった。納得できる人生を送ることができるか、不安で仕様が無かった。

僕は理想に当てはまる道を探していた。でも、ある時気がついた。そもそも僕の求める生き方に似たような例など無いのだ。だったら、自分が道なき道を進んでいくしかない。それに気がついたのは、スポーツ界を変えていこうという同志に会い、その実践をしていく過程においてだった。



道が無いことへの「恐怖」は、道を切り開いていくことへの「挑戦」へと変わった。



今もゾッとする。この同志達と出会わなければ、どれだけ鬱々とした人生を送っていただろうか。少なくとも、今の充実した時間は絶対に無い。

【SMRGの実践活動第1弾のSports Campusの写真。自分に未来を与えてくれたのはバスケットボールではなく、慶應野球部の存在だった。第一回の2004年11月6日から、もう6年の月日が過ぎ去った。】
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バスケに出会えたことが、本当に良かったと振り返られる人はまだまだ少ない気がするし、運によるところが多い気がする。一部の運のいい人間しか幸せになれない日本のバスケ界であっては、継続的発展などするはずが無い。だからこそ今、バスケ界で幸せを掴めた人、バスケで苦しんだ人、全てのバスケを愛する人が一つになり、あらゆる業界をまきこみ、運で得た価値を仕組みに落とし込み、苦しみが二度と繰り返さないよう学び、そして多様さを取り込むことで素敵な選択肢を増やしていく必要があると思うのだ。

自ら選択した好きなこと追うことの楽しさ、高揚感、充実感。経済的に成熟し高度成長の望めない日本で物的欲求を満たした先に待っているのは自己実現欲求。今の日本に足りないのは、その欲求を満たす条件となる「自由」だ。もしかしたらバスケだけじゃない。サッカー、野球、ダンス、ダンス、音楽、芸術、好きなことを追うことが日本は物凄く難しい社会なのかもしれない。

だから、伝えたい。大企業に勤めながらでも一つずつステップアップし、夢に近づいていくことはできるのだと。夢を持つことで毎日の小さな業務も夢の達成へと結びつき、ワクワクしながら毎日過ごせるのだということを。夢に向かうために、好きなものを追うために人生のすべて投げ出し、100かゼロの選択を迫られる生き方だけがこの日本で夢を追う手段ではないということを。

僕の様な生き方が、学生時代の僕と同じ様な恐怖を抱いた誰かの、夢とともに不安を抱く誰かの、一つの選択肢になればいいなと思ってこうして今Blogを書いている。自分の人生が最高だったと次の世代にに胸を張れるようになるにはまだまだ、道半ば。一歩ずつ、一歩ずつ。夢を追う人たちと一緒に助けあいながら。


2011年1月17日月曜日

"奇跡のリンゴ"を読んで

久々に凄い本に出会った。これはスティーブジョブズのスタンフォード大学のスピーチを超えるかもしれない。本当にお勧めです。この本を読んで思ったこと、学んだ事をバスケ界に重ねて散発的に備忘録として書きます。紹介して下さった方に心の底から感謝です。


・りんごが成長するのを助けてあげるだけ。その為に酢や虫取りをする→エンターテインメントや派手な演出は、バスケットボーラーが成長する、やる気が出るのを助けてあげるだけ。本質的な価値向上ではない。

・自然に戻すことが大事→やりたいときにバスケが出来、見たいときにバスケが見られる。押し付けではなくバスケも自然に戻してあげることが重要。

・どんぐりの木をみたことが転機→他の視点を取り入れることによって根本的な解決が見つかるときがある。バスケだけ見ていても絶対に解決しない。

・木村さんが色々な人の助けを得られたこと→狂気とも思える熱意が人の心を、行動を動かすことがある。その人々の協力なければ大きな達成は不可能。

・木村さんの話の上手さ→熱意があるだけでは足りない。人の心を動かすには話術、それ以上にコミュニケーション能力が必要。

・昔にエンジニアとして熱中していた時期があった→熱中したことが夢の達成にどう関わってくるかは分からないが、真剣に取り組んだ経験は思わぬ形で夢の達成を後押ししてくれる。

・食っていけるようにしなくてはいけない→生活ができるようにならなければ、次世代がついてこない。それはバスケも同じでプレーヤー、マネジメント共に飯が食えるようにならないと社会という大枠の視点では何も変わらない。

・家族、周囲の畑への迷惑に心を痛めていた→私利私欲が動機の場合は周囲の人間は動かない。周囲への配慮があったことが協力を呼んだ。





2010年12月31日金曜日

限りある時間の中で

限りある時間の中で、終わりある人生の中で僕は何を遺せるだろう。死ぬことを選ぶことは誰でもできる、でも生きる時間を選ぶことは誰もできない。そんな人生の中、明日自分が死ぬこととなっても、胸を張って僕は次世代に何か価値を残すことができた、そう言えるだろうか。そんなことを年の瀬に想っている。

色々なことがあった。自分の仕事のできなさに打ちひしがれ、逃げたくて会社を心のそこから辞めたいと思った。学生時代に命を懸けて守ってきた、共に歩んできた組織が無くなってしまいそうになった。大事な人を傷つけ、仲間を失いそうになった。心の底から好きだと思える人と出会って、でもその想いは届かなかった。仕事では大きな難題が発生し、挫けそうになった。失敗や怒られることばかりだったけれど、今思うとどれも自分にとって学びと成長の連続だったように思う。

とりあえずこうして年の瀬を幸せな気持ちで迎えられるのには、多くの支えがあったからだ。

会社を辞めたいと思ったとき、普段は僕の人生に全く介入しない父が僕を呼び出して飲みながらこういった。「会社を辞めるのは構わない。でも、今の会社以上にお前の夢を現実化するのに近い会社がどこにある。逃げても同じだ。せめて自分のアイデアを全力でぶつけてから辞めて来い。そうでなければ一生後悔するぞ。」僕は夢の達成と程遠い自分と向き合うのが怖くて、逃げたかっただけだった。

仲間を傷つけていながら、突っ走って周りが見えなかったとき、僕が心から信頼する後輩が言ってくれた。「あなたはなぜ周りを傷つけていることに気がつかないのか。彼らの想いに、彼らの気持ちにもっと耳を傾けてくれ。そして彼らが必要としている言葉をかけてあげてくれ。誰も今のあなたにはついていけない。」仲間のためだと想って全力で走っていたことが、害でしかなかった。それを受け入れるのは辛く、苦しく、涙が止まらなかったけれど、友のおかげでもっと大きな不幸を味わわずに済んだ。



ずっと、僕は今の会社にいる価値がないと思っていた。もらっている給料以上の価値を生み出している自信など全くなかった。会社にとって損失、お荷物でしかない。それは凄く辛く、僕の生きている意味までも否定するものだった。

そんな時、自分の心に言い聞かせるのは「周りと比較するのはやめよう。昨日よりも少しでも成長できたなら、自分を褒めてあげよう」ということだった。起きるほうが辛くて12時間以上寝ていた休日も、少しでも本を読んだ。自己啓発、金融、会計、ファイナンス、脳科学、経済、話術、たぶんこの2年で読んだのは100冊以上。でも、覚えているのは一冊一行あればいいほうで、仕事になったら忘れてしまっていた。学んだことを実践できない自分に嫌悪感を抱く毎日。怖かった。勉強しても勉強しても、きっと自分は仕事ができるようにはならない。自分の夢に敗れた負け犬として生きていくのが、凄く怖かった。

でも、あるとき、点が線になり、線が面になり、そして面が立体になる瞬間があった。突然、仕事がうまく回り始めた。1冊1行しか覚えていなくても、100冊も本を読み、それに経験が伴えば、安い本くらいにはなるものだ。

そこから、調子に乗ったのもあって、色々な失敗をした。たくさんの人を傷つけてしまった。でも、心の底から僕のことを想っていてくれる人の支えがあって、全てを失うことなく、今、なんとか幸せな自分でいられる。



始まったときは終わりのことなんか想像できなかった2010年。それもあと数時間で終わろうとしている。きっと、僕の人生もこんなふうに終わりを告げるのだろう。

いつ死んだとしても、納得できる人生を歩んでいたい。そして、あわよくば、僕が生きたことが他の人にとってマイナスであるよりはプラスであってほしい。少なくとも今、この瞬間に核兵器が日本に落とされて、朽ち果てることになっても自分の人生に後悔はしないだろう。そう思えることがどれだけ幸せなことか。

次の年も、ひとつずつ前へ、いつの時も自分の弱さや小ささから目を背けず、等身大の自分と向き合っていたい。2010年の始めに立てたテーマ「等身大」と「Small Steps」。とりあえず達成できたかな。

僕を支えてくれた全ての人たちに、本当にありがとう。自分が小さくて、小さくて、悔しいけれど、迷惑をたくさんたくさんかけて不甲斐ないけれど、一日でも早く恩を返せるように、僕は来年も一生懸命生きていきます。

来年もどうぞ、どうぞよろしくお願い致します!


2010年11月14日日曜日

情熱からの解放

突然の友人の予定のキャンセルで、久しぶりに何の予定もない休日。仕事もうまく回り始め、休日もかなりアクティブになったここ約3ヶ月間。一瞬一瞬がもったいなくて、仕事を頑張るのはもちろん、ネットワーク作りと思って常に人に会って、魅力的な人になる為と思って遊ぶときはとことん遊んで。朝の5時半におきて、夜中の3時まで遊んで友人の家に泊り、始発で帰って出社なんて日が続いていた。

昨日もハーバードでMBAを取ったアメリカ人と話をする中で、努力次第で世界を相手に戦えるビジネスパーソンになれるという確かな手ごたえを掴んで、心は燃え上がっていた。

そんな中、思い掛けず訪れた休日。何もない、誰との約束もない、全てその瞬間瞬間の気分で何をしようか決める。偶然にも予定の空いていた仲間たちと時間を過ごす。そんな一日が、なぜだか3ヶ月の間で、むしろ今までで一番幸せだった。


ふと、思った。なぜ僕は働くのだろう。

夢の為?学生の頃に描いていた一番でっかい夢は現実味を帯び、目標になった。
じゃあ目標の為?確かにそうだ。目標が僕を突き動かし、困難に直面したとき、前に進む勇気を与えてくれる。

じゃあ、人生をかけて頑張って、仮に目標を達成したら僕の人生には何が残るのだろう。

何の為に生きるのか。


頭では信念を貫き、目標を達成する為だと言い聞かせてきた。でもきっと僕の心は信念や目標の為に生きているのではない。きっと心は、信念を貫き目標を達成した後の自由を求めている。

揺るがない信念と確たる目標が一つになった時、困難に立ち向かう勇気と爆発的な心のエネルギーを与えてくれる。信念を唱え、目標を高らかに宣言する事によってさらにその力は強まっていく。しかし、それと同時に信念と目標は自分を縛り付け、自らの言葉に従わねばという義務感がうまれる。

その義務感すら今日の今日まで楽しんできた。でも、今日、この一日が一番幸せだと感じてしまった時、何が何だか分からなくなってしまった。涙が溢れて止まらなかった。

バスケが大好きで、僕を育ててくれた日本のバスケの為に生きていきたい。その言葉に嘘偽りはない。膝を手術して歩くのすらままならなくなってしまった時、愛するバスケが目の前から消え去り空っぽになってしまった時、バスケを心の底から呪った。バスケにほとんど人生を費やしてきた僕から、バスケ無しでは生きていけない僕から、なぜバスケは逃げて行こうとするのか。バスケに出会わなければ、もっと楽な人生を過ごせていたはずだと心の底から思った。でも、どう憎んでも呪っても結局バスケを嫌いになる事などできなかった。


バスケの無い世界を生きることができるとしたら、もう一度人生をやりなおせるとしたら、どう生きようか。



大学ではテニスサークルに入って、気になる女の子と日が暮れるまでラリーしよう。夏には海の家でバイトして、一夏の恋にときめこう。限界まで筋トレと練習しまくってホームランが打てるかチャレンジしよう。ディズニーランドでキャストをやって、子供達を最高の笑顔にしよう。音楽教室を開いて自分の好きな歌をたくさん子供達に教えよう。日本中のJazzバーにいって素敵なJazzバンドを探しに行って、どうだ日本のJazzも凄いだろと友達に自慢しよう。ホルモン焼きをめぐり巡って、日本一のグルメ本を出版しよう。海外青年協力隊に入って、貧しい人を助けに行こう。ヒッチハイクで世界を回り、お金がなくなったらそこで稼いで、ずっと旅しよう。世界の山々に登って、てっぺんでオカリナを吹こう。彼女をバイクの後ろに乗せて、北米の西海岸を縦断しよう。ずっとずーっと、大好きな人の隣にいよう。信念だの目標だの偉そうなことは言わず、その瞬間にやりたいことをして生きていこう。そこにバスケがなくても、どれを選んだってどんなに自由で、どんなに素敵な人生だろう。

僕が信念と目標の為に生きる限り、こんな夢は叶わない。でも、もう戻れない。

バスケへの情熱に共鳴して今まで助けてくれた人達、今の自分を好きだと言ってくれる人達、僕の描く未来を応援してくれている人達。その人達の期待を裏切ることが何よりも辛いと思ってしまう今、他の生き方は僕にはもう出来ない。ある人はお前になんか誰も期待していないと言うだろう。でも、26年間バスケのあるところへ全力で走ってきた僕の心の向きを変えることは、もうできないのだ。


僕が本当に自由になれる日、それは今掲げる目標が達成された時。スラムダンクを超えるバスケが現実化した時。あの日あの人との約束、達成の為のTo do、あるべき自分の姿で居続けることのプレッシャー、情熱が生み出す全ての束縛から解放され、もう一つの人生が始まる日。目標が達成される確証なんてない。もしかしたら死ぬことによって初めて自由になるのかもしれない。でも、自由になる日の喜びを想像しながら、僕は生きていたいと心の底から思ってしまった。


バスケへの情熱だけを拠りどころとしていた僕。少しだけ、大きな気持ちで物事を捉えられるようになった気がした。


2010年10月16日土曜日

死への恐れなど

今、本当に充実しています。だから毎日感謝の気持ちで一杯で、毎日どうやったらその気持ちを今すぐ伝えられるだろう、そんなこと考えながら生きています。感謝の気持ちは今すぐ伝えなくちゃいけない。だって僕も、気持ちを伝えたいその人も、明日生きている保証なんてないのだから。

僕が心を大きく揺さぶられた言葉。有名なAppleのCED、スティーブ・ジョブズのこれまた有名なスタンフォードの卒業スピーチ。Connecting Dotsで有名なスピーチですが、僕はスピーチの中でこのフレーズよりも感銘を受けたフレーズがあります。

"Death is very likely the single best invention of life"
死とは、恐らく生命の唯一無二の最高の発明である。

スピーチ前半


スピーチ後半


このフレーズを聞いたとき、死を初めてプラスのものと、心の底で納得して受け入れることができたのです。死は、使い方や捉え方によっては生きる力を最大限に与えてくれるもの。いつかはこの世界から自分は絶対に消滅する。地球が始まってから全ての生命体が死を享受してきた。だからこそ人は一度しかない人生を懸命に生きようとするのだ。

死は「今」に価値をもたらすために発明されたものなのだ。だから、死への恐れなど僕には無い。死んだらどうなるかなんて分からない、死んで見なけりゃ分からない。考えるだけ無駄だ。

一つだけ悲しいことがあるとすれば、父と母が出会い、僕が生まれたその瞬間から、一生で会う全ての人とサヨナラする日が訪れることが、決まってしまっていること。相手の死をもってか、自分の死をもってかは分からない。でも、僕に出会ってくれた、全ての大好きな人と、いつか絶対にサヨナラしなくちゃいけない。どんなに涙を流そうとも、何に祈ろうと、絶対に避けることはできない。

今日の感謝を伝えられず、明日に永久にサヨナラになったとしたら、僕はずっと後悔すると思うんです。大げさなんかじゃない。二人が生きている保証なんてどこにだって無いんです。のどに餅が詰まって死ぬかもしれない。当然脳梗塞になるかもしれない。大地震に襲われるかもしれない。

だから、だから、だから!僕の本当に大事な人たちに、嬉しかった時は「ありがとう!」と今すぐ伝えたい、愛している人には「大スキだ!」と今すぐ伝えたい、僕のせいで不快に思う人がいたなら「ごめん・・・」と今すぐ伝えたい。勘違いやすれ違いのまま、二人の関係が断絶するなんて、これほど寂しいことはないもの。

今、ちょっとしたことで涙が溢れてくることが多くって。自分への失望や、孤独感で辛すぎて感情が荒んでいる時は涙が出ない。でも、感謝の気持ちで溢れてる時って、心を揺さぶられて嬉しさや悔しさを感じると直ぐ涙が出る。素の状態でも感謝の感情が一杯すぎて、心に収まりきらない追加の感情が発生すると涙として体の外に溢れ出てくるのだろう。

今日はどんな風に気持ちを伝えよう。実りある明日を迎える為には、今日はどんな一日がいいだろう。ワクワクしながら今ブログを描いています!

プロであること

今日、どうしても納得できなかったことがあって、感情的に処理しそうになった時、ふと立ち止まりました。これってプロとして、どうなんだろうと。いつもアドバイスを求めると、親身になってアドバイスを下さる先輩に聞いたんです。これって僕が折れるべきなのかどうか。

その時の先輩のアドバイスは。

「相手を感情的にさせた理由を考えろ。折れるという発想がそもそも上目線で、お前が悪いことに気がついていない。相手の立場になって考えてみろ」

凄くストレートで、凄く反省させられる一言でした。僕は調子が良くなると、必ずと言っていいほど井の中の蛙にも関わらず天狗になり、失敗してきた。けれども、天狗になることを許さない、そしてと僕のことを思ってくれている先輩の一言に、自分の小ささを気付かされたのです。感情に支配されてしまった僕はプロとして、さらにいえば調整力と適切な情況判断を主たる強みとする総合商社の人間として、はっきりいって失格です。

先輩の助言がなければ、確実に誤った状況判断をしていた自分の甘さや、小ささが悔しくてトイレで泣きました。でもそしたらスッキリして、自分が間違っていたことに心から納得できて、相手に自分が間違っていたことを伝えたんです。そしたら、その人も「田中君には頑張って欲しい」って応援してくれて!

いつかは人の前に立つ立場になり、みずからスピード感をもって判断しなければならない情況になれば、守ってなどもらえない。むしろ先輩がしてくれたような一言を、後輩たちにしてあげられるようにならなくてはならない。

僕は本当に恵まれているし、運がいいと思う。直属の上司は心から尊敬しているし、頼りになる先輩達に導いてもらえる。ただ、怖いのがあまりにも良すぎる環境であること。その事を認識しながら、例え一人で戦わなくてはならなくなったとしても、生き抜く力をつけなくてはならない。

日々の感謝を胸に、そして常に現状に満足しない向上心を胸に、もっと頑張ろうと思えた、そんな実り多き一日でした。

2010年10月11日月曜日

優勝!!

昨日、フープワンの大会に出て優勝しました!エンジョイの大会にもかかわらず、空気読まずにめちゃくちゃガチでバスケしちゃいましたが、熱いプレーと笑顔で大会自体を盛り上げることが出来たと思うので、許してっ!
以下URL、絶対俺たちでしょう。
http://hoopone.jp/office/tanoshindeta.html
TAIYAKI BOYZ最高です。3ポイントが最近さっぱり入らないキャプテン兼オーナー、ゴールではなく髪の毛を死守していた会長、開始20秒で謎に指から流血していて交代アピールしていた社長。本当にありがとう御座いましたっ!



強く、感じたことがあるので、吐き出さないと気が済まないので、これから長々と書きます。今頑張っている人、挑戦している人、壁にぶつかったり、夢に破れて苦しんでいる人に特に読んで欲しい。僕がどういう人間かが分かることに加えて、もしかしたら想いを共有できるかもしれないという願いを込めて。

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僕が優勝した経験はこれも含めて二回だけ。同期が卒業するときの追いコンバスケの学年対抗戦と今回の大会。プレーヤーとしてのキャリアは全く輝かしいものじゃなかった。だからこそこの大会で優勝できたのが本当にうれしかった。

中学校の頃、顧問の先生はバスケを初心者で、学校も何かに熱心でもない普通の町立の中学校で、真面目にバスケをやりたい僕には居場所がなかった。キャプテンだったけれど、バスケ部の仲間とはあまり打ち解けられず、引退直後に毎年恒例としてやっているOB戦では、いわゆる「ハブリ」にあって、ほとんど試合に出られなかった。

高校は進学校だったけれど、本当にバスケが大好きな仲間と会えて、バスケに熱中する時間を過ごせた。入学したときは実力的に超下っ端だったけど、誰より体育館に早くきて、誰よりも遅くまで体育館で練習して、教室でもボールを触っていて。二年生になって代替わりの時、コーチに「お前のフットワークがNO1だ」と面と向かって言われて。後輩と一対一の練習してる時も「田中を抜けるようになれ!」と言われて、それが嬉しくてたまらなくて。でも、その直後、ももの肉離れと右肩の脱臼と足首の捻挫を一カ月内にやってしまって。足首には多分ヒビが入っていたのだと思うけれど、努力が逃げていってしまうと思って焦り、テーピングでガチガチに固めてやっていた。日に日に捻挫は悪化して、遂にはベンチに入れないようなプレーヤーになってしまった。調子の良かった頃の自分と比較して、できないのは怪我のせいにして努力もしないでいた。人生は終わったと思うくらい悩んで、全てが真っ暗で、でも、こんな自分は嫌だと思って、ある時もう一回努力しようと決めた。ウチの部は朝練無くて、体育館もその時間には空いてなかったけれど、体育の先生に頼んで体育館を開けてもらって。段々と元の自分を取り戻して来てベンチには入れるようになった。でも最後の大会の二週間前の体育祭、利き腕の左肩を脱臼した。最後の大会はコーチの気遣いで、ベンチで右手で汚い文字でスコアシートを書いて、僕の高校バスケは幕を閉じた。

高校の結果に納得がいかなくて、慶應に仙台高校を全国制覇に導いた志村さんがいて、バスケ雑誌でも注目されていた竹内と酒井 が入学することも知って、SFCに入りたいと思った。必死に勉強してSFCに入った。滑り止めは一つも受けなかった。何年かかっても他の大学にはいく気がなかったから。

結局、大学では体育会にはいったものの、あまりにも勉強することが苦しい環境だったことと、自分の存在は部にとって無価値だと思ったから3カ月で退部した。

でも、その後に入ったサークルの奴らがホントにバスケをが大好きで!自分の学年は弱小でサークル内の対抗戦もぜんぜん勝てなくて、でもほんとうにいい奴らで!負けることばかりだったけど、決して下を向かないでプレーしてきた。二年生になったら自分はキャプテンになって、そしたら一年生に全国ベスト8のガードが入ってくれて。そいつに引き寄せられるように、全国レベルの奴らが他にも入ってくれて。自分が何にも経歴のないプレーヤーにも関わらず、全力でディフェンスしてきてくれて、身長の小さい俺にゴリゴリでポストアップしてくれて。後輩達は俺の気持ちも知っていて、本気でぶつかって来てくれたのが嬉しくてたまらなくて。3年生の終わり、休学して一年間アメリカ留学した時も、こいつらと一緒にバスケできなくなるのだけが本当に寂しくて、アメリカ留学から帰ってきたら最後の四年生の一年間、後輩達と本気でバスケやりきって、本気のバスケにはサヨナラしようと思っていた。大学を卒業したら、もう二度と、このメンバー全員でホンキのバスケをすることはできないから。

一年休学し留学から帰ってきた直後、同期の卒業前のサークルの学年対抗戦。どんなに負けても笑顔でプレーしてきた同期に勝ちをプレゼントしたくて、自分の最後の試合だと思ってプレーした。最後残り二秒、一点差リード、マッチアップしていたベスト8のガードに走られて、必死に追いかけたら最後のミドルシュートの時に、相手の肘が俺の鼻に当たってシュートが外れて、優勝。集合写真取るときは鼻血出まくってたけど、何も言わずについて来てくれた同期に最高のプレゼントができたのが嬉しくてしょうがなくて!

同期は俺が高いレベルでプレーしたかったのも理解者してくれていて、下の学年の奴らと最後の一年間全力でプレーできるのを心の底から喜んでくれた。サークルにも関わらず、朝練もウェイトトレーニングもして、これから最高のバスケができる期待を胸に、ワクワクで一杯だった。

就活も終わり、心弾む5月、練習中に左膝の前十字靭帯を切って、自分の本気のバスケは想像しない形で終止符を打った。医者に手術しないと、もう本気のバスケはできない、手術したら一年間はプレーできないと言われた。卒業まで間に合わないことが分かって意味が分からなかった。一生で一番涙を流したと思う。

「バスケの神様がいるとしたら、何で俺には微笑んてくれないんだろう。バスケが好きな人の為に、たくさん活動もしてきた。なのに何でバスケの神様はこんなに酷いことをするんだろう」

でも、今ならわかる。バスケの神様は自分に成長の機会を与えてくれたんだって。他人の痛みや苦しみが分かる人間になりなさいって。田中裕之という人間をバスケットという枠を越えて大きく成長させるためには、彼が最も愛したバスケットを一度奪い取るしか手段はなかったのだと思う。

中、高、大と納得のいく結果を出せなかった僕にとって、他人から見れば、ちっぽけな大会でも、全力でプレーして、みんなが一つになってプレーできたのが嬉しくて、本気のバスケにまた出会えたのが、うれしくて、うれしくて、うれしくて。。。

朝ゴルフに向う電車の中、昔の辛かった頃、そして昨日の嬉しさを思い出して、ずっと号泣してました。さぞかし気味が悪い人だったと思います。

今何かに挑戦していて苦しんでいる人に、今大好きなことに取り組んでいるけれど将来に繋がるか不安に思っている人に、夢に破れて叶わなくなってしまった人に伝えたい。何かを愛し、頑張り抜いた経験があれば、その過去の結果が大きいものであっても、小さいものであっても、最後まで逃げず、自分自身と向き合う力を与えてくれることを。

どんな嵐も曇り空も、必ず過ぎ去っていく。だから、明日は晴れるかもしれないと、信じるのをやめてはいけない。明日はきっと晴れると、信じ続けるのだ。この地球が始まってから一度だって、晴れの日が訪れなかった場所なんて無い。子供の頃、楽しみにしていた遠足の日に、雨が降って中止になって、とても悲しかったのを覚えている。けれども、雨の日も曇りの日も、どんな日であっても自分の信念とともに歩み続けたことがある人は、激しく長い嵐の後にこそ、突き抜けるような青空が訪れることを知っている。大きな悲しみに包まれ、信念さえも消えてしまいそうな時、そんな時は苦しくて下を向いたっていい。しゃがみ込んで、大泣きしてもいい。けれど、生きてさえいれば、いつの日か、必ず、無限に広がる晴れ空に悲しみがすっと吸い込まれ、太陽が照らす花の香りに温かな気持ちになれる日か来るから。だから、生きていてほしい。


自分が嫌いすぎて、自分がいるだけで周りを暗くさせてしまうんじゃ無いかと思って、この世界を去ってしまった方が楽だと思ったことが僕自身も本当にある。休日も18時間くらい寝ていて、努力もやり尽くしていなかった。でも、一つだけ胸を張って言えるのが、怪我をし本気のバスケを失ってから三年間、決して逃げなかったこと。そして僕はバスケットから離れた今でも、最高に幸せだと思える時間を過ごしている。

もう大学生の頃のように体は動かない。多くてもプレーも一週間に一回しかできない。けれども、本気のバスケもう一度巡り合えた。そしてバスケットはバスケット以外にも大好きなものを沢山くれた。だから、今の僕の幸せは簡単に奪い取ることはできない。

このメッセージが頑張る誰かに届いて、少しでも前に進む勇気を与えられたら。そして、いつかお互いの夢を叶える為に巡り合えたら。そんな想いをこめて。

2010年10月10日日曜日

言葉の力

最近、幸運なことに、今後かなり担当本部の主要分野となる案件の管理業務取り纏めをすることになったのだが、人生で恐らく1番嬉しい一言を上司からかけてもらえたのです。

「いま説明したポイントさえ抑えていれば、お前の好きなようにやっていい。思う存分暴れてこい。」

辛かった暗い仕事のトンネルを抜け、信頼を勝ち取ってきた手応えを掴みつつあった今、これ程自分をモチベートする言葉は無いと思った。

本当に自分は恵まれている。最高な環境、心の底から尊敬する上司と仕事ができている幸せ。

バスケはプレーヤーとしては何一つ残すことはできなかった。本気で頑張って、でも実らなくて、高校も大学も引退間近に大怪我をして納得のいかない結果に終わって。でも、それでも挫けず、好きだという理由だけでバスケを続けてきたこと、そしてバスケを通じて出会った仲間が自分の心を支えてくれている。仕事のやりがいと職場の仲間への信頼、全部含めて「今」を好きだと言える今、絶対に誰にも負ける気がしないのです。

気負ってる訳でも背負ってる訳でもない。仲間がいつも心のなかにいて、一緒に戦ってくれているから。

うーし、今日も楽しむぞー!!