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2012年1月1日日曜日

2012年の成長テーマ「受容」「牽引」そして「笑顔」


毎年言ってる気もするけど、今年は本当に勝負の年。今年のテーマを宣言します。

と、その前に2011年のテーマはなんだったかというと「謙虚」と「安定感」。ちょっと仕事ができる様になって何でもできる様な錯覚に陥ってトラブルに陥ったり、トラブルに陥ったらパフォマーンスが下がった2010年を反省して設定したこのテーマ。

プライベートのコントロールによる体調管理なんかも含め、個人として仕事をする分には2011年のテーマはおおむね達成できた様に思う。

(色々なことがおきて色々なことに踏み込んだ2011年。これは6月に被災地に行った時の写真。隣に写っているのは大学を卒業して間もないにも関わらず、現地で年上の社会人を臆することなく仕切っていたボランティアコーディネータの沢村くん。きっと近い将来に震災後の日本を象徴する一人となるのだろう)

2011年に出会った新たな課題。それは沢山の人を巻込みながらモノゴトをコントロールする力。年が暮れるにつれて色々と重大な仕事を任せてもらえるようになってかなり業務がパンパンになって嬉しい悲鳴がある一方、このままだと確実にパンクすることに気がついた。

自分を新しい次元に進めるためには縦横の関係を問わず、変幻自在に色々な人とタッグを組み、ゴールを達成していく力。有名な著書、7つの習慣にも出てくるデレゲーション(委任)能力が必要。仕事が加速度的に難度が高く、量も多くなっていく中NPOもあるとなると、仕事が休日に食い込まない様にコントロールしなくっちゃ行けない。

だから今年の成長テーマは以下の2つにしたいと思っています。

「受容」と「牽引」

モノゴトを誰かと一緒にやろうとしていく時、丸投げや過度な期待は絶対にうまくいかないことを去年痛感した。まず相手を深く理解し、相手のモチベーションの源泉がどこにあるかを理解することが必要。そして自分の考える完璧を押し付けず、モノゴトを成し遂げた結果が相手の考える理想に近づくものである様、アジャストしなくてはいけない。共に歩むとき、相手を丸ごと受け入れ、考え方や価値観の違いを受け入れられるように自らの器を大きくしていきたい。

ただ、受け入れるだけでは足りない。人の心が大きく動く時、それは自分も想像し得なかった情熱に触れ、その先にあるビジョンが見えたときだと思う。この人間と一緒であれば、自分の夢の達成だけでなく、新たな未来の一部を創る当事者になれるかもしれないという感覚が必要。個人の力を120%まで引き出し、1+1=3にする力。どんなに条件が悪かろうが、足りないものが有ろうが、仲間の力を最大に引き出して結果に結びつけていく能力や信頼関係を意識していきたい。

その二つを力をつける上で一番大事だと思っていること。それは

「常に笑顔でいること」

どんな違いも笑顔でうけいれ、どんな問題もワクワクしながら笑顔でチャレンジする。これができればどんな困難だって仲間と乗り越えていける。

震災後、切迫した気持ちの中で、やはり自分自身の笑顔が失われていた様に思う。自然と周囲も厳しい顔になって、後輩にも無用なプレッシャーを与えていたように思う。去年の5月頃は元NFL・NBAのチアリーダーの柳下容子さんと笑顔を広げるプロジェクトをやっていたにも関わらず、いつのまにか自分自身がだれよりも笑顔でなくなってしまったのは本当に恥ずかしい事だ。
(容子さんと一緒に作った笑顔のラジオ体操。あの時に実感したはずの笑顔の大事さを、今本当に痛感している)

部下からミスの報告を受けたとき、仕事の仲間が期限に間に合わなかったとき、起こってしまったことを責めての何のプラスにもならないのは誰もが分かってること。やるべき事はミスを埋め合わせる心のエネルギーを引き出す事なのに、感情が邪魔をして怒り、相手の心のエネルギーを殺ぐことになってしまう。

2012年、僕だけじゃない、去年の震災から歩みを進めみんなが笑顔になれる年であって欲しいし、そうなるように行動していかねば。

みなさん、笑顔でない僕がいたら、注意して下さいね!もう1、2年で海外への赴任も現実味を帯びてきた中、残された日本での時間を思いっきり笑顔で過ごしたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

2012年1月1日 元旦 田中 裕之



2011年7月27日水曜日

スポーツの価値発信の新たな可能性~スポーツとコミュニティ~(2)

しばらく時間が空いてしまいましたが、大学生の時にHOOP HYSTERIAに投稿していた記事の前回の続きです。

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日本の場合はどうでしょうか。日本に住んでいるのはほとんどが日本人。また日本人はほとんどが無宗教であり、ゲイやレズビアンに対する偏見の目は根深いものがあります。アメリカ人に比べると日本人は同質性が全体的に強いため、もともとのバックグラウンドというよりは、スポーツそのものがきっかけとなってコミュニティを作ることが多いように感じます。初等、中等教育で部活動は大きな役割を成し、その大半はスポーツです。中高の部活を通じて一生の友達を得たという人も数多くいるのではと思います。その後の大学や企業内でも、高校卒業後、部活動には関わらないがそれでもスポーツを続けていたいという人々が数多く居り、プレーするために自発的に仲間を集め様々なコミュニティを作っています。こういったコミュニティ形成のスタイルは依然として根強く日本社会に定着しています。このように、スポーツは日本のコミュニティ形成において非常に重要な役割を担っています。またコミュニティを形成することによって、「見えざる価値」を生み出し、日本の社会を支えてきたのです。

その一方で、現在問題となっているのが少子高齢化、財政難によるスポーツに関する国の予算の大幅なカット、そしてそれに伴ったスポーツ自体の縮小です。事実、日本のスポーツは、施設の維持や、施設の従業員の確保などにおいて、国の予算に大きく依存し、低料金でサービスを提供してきました。税金を必要以上に浪費していた事実もあるようです。ある意味カットは当然のことかもしれません。しかし、ここでの問題点は、地域自治体が政府から自立した運営をするのに充分な方法論や経験を確立するのを待たずして、急速に予算のカットが進んでいることです。これらが影響してスポーツの運営に支障をきたし、コミュニティが減少するなどの事態が起きた場合、地域社会の結びつきや生活環境に悪影響をきたすおそれがあります。予算カットを主張する側に「スポーツをやらない人がいるのだから、スポーツに関してはスポーツをする人間だけがお金を払うべきで、全く税金の投入はすべきでない」という極端な意見がまれにあります。もちろん一部納得できる部分もあります。しかし、コミュニティの説明で述べたように、スポーツをしていない人でも、間接的にスポーツによるメリットを享受している可能性は充分にありえるので、必ずしも現在スポーツをしている人だけが資金を全て負担すべきという主張が理にかなっているとは思えません。

スポーツが予算カットの矛先にされたように、スポーツの立場が日本社会において比較的弱い立場にある理由の一つは、スポーツの価値が依然として多く「見えざる価値」を含むということです。価値が不可視のものであり、感覚的なものであれば、「スポーツ愛好家の単なる主観的な主張だ」と批判を受けても、反論する手立てがありません。これは「スポーツ」という研究分野が日本で確立されていないことの結果でもあります。しかしそれが日本スポーツ界の現状です。現在のスポーツの見えざる価値を、「測量可能な価値」にし、スポーツの社会的な必要性をアピールすることがもっと必要なのです。税金を投入されたとしても、有効活用した結果それを上回る経済効果を生み、しかもそれを証明できれば問題ないはずなのです。スポーツの存在によってどの程度地域の積極的な活動を生み出し、お金と労働力が削減されたのか。どれほど健康に寄与し、保険料の削減に貢献したのか。これらは一例に過ぎませんが、スポーツの価値を誰もが共有できるように数値化し明確化するのは必須だといえます。

あいまいな価値を「数」というものに置き換えて表現するのは、困難な作業であることは間違いありません。しかし、既に研究の進んでいるコミュニティという価値尺度からスポーツを見つめなおすことにより、スポーツの見えざる価値を測定可能な価値へと転換することが容易になり、スポーツの価値発信を新たな次元へと推し進めることができるのではないかというのが私の主張です。

次回はその数値化に関する実際の取り組みについて、近年よく話題に上がる総合型地域スポーツクラブの例に触れながら解説していきたいと思っています。

それではまた次号。


  

2011年6月26日日曜日

スポーツの価値発信の新たな可能性~スポーツとコミュニティ~(1)


また、シアトル留学中にHOOP HYSTERIAの会報に書いた記事を転載します。

震災後、コミュニティの存在が見直されていることからも、スポーツとコミュニティの関連性は今後もスポーツを考えていく上では重要な事柄だと思っています。

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皆さんこんにちは。今月はシアトルに悲しいニュース。シアトル スーパーソニックスがオクラホマの企業に買収されてしまいました。縁あってシアトルに来ることになったので、ソニックスの熱狂的なファンになるぞ、と渡米前に意気込んできた私にとって、とてもショックなニュースでした。ソニックスのキーアリーナの前や街中のお店などで、反対の署名運動やポスターがちらほら見られますが、将来的に移転は避けられないように思います。

さて、今回は前回を引き継ぎ、バスケット限定の枠から少し遠ざかって、スポーツがコミュニティに与える影響について述べたいと思います。スポーツとコミュニティの関連性については日本では比較的近年注目され始めた概念です。さらにスポーツを通じて作られるコミュニティの形は、日米で大きな差異があり、且つ、日本のスポーツを考える上で非常に重要な位置を占めていると考えています。今回は今までのトーンとは少し変わって、スポーツをより価値あるものとして証明していく必要性について述べます。

まず「コミュニティ」という言葉について説明します。コミュニティという言葉はカタカナで表現されていることに象徴されるように、元々は日本に無かった概念です(正確にいうなら、同様の事象・概念はあったが、英語のCommunityと全く同義のものは日本に言語として存在しなかった、ということと言った意味合いであると補足しておきます)。とても使いやすそうな響きですが、一見そのように見えて実は曖昧で認識の違いを生みやすいので、ここでは「①共通の目的や、趣味などを通じて②自発的に形成された③社会的集団」と定義しておきたいと思います。例えるなら、Hoop Hysteriaは①バスケットボールへの愛を共通点とし、②誰からの強制力も無く島本さんを中心に自発的に発生した、③暗黙の了解にて良識と思いやり、そして役割を持って支えあう集団であると言えるでしょう。

さて、コミュニティと聞くと、何を思い浮かべるでしょう。サークル、地域の子供会、スポーツ少年団、様々だと思いますが、コミュニティの果たす役割、と聞かれるとどうでしょう。あまり明確なイメージを持つ人は多くないと思います。実は、コミュニティは「見えざる」大きな価値を持っているのです。その価値の理由は「自発性」であり、自発性の構成要素は大きく3つであると言われています。1つ目は、お互いを信じあうことによりお金や労働力の代わりの役割を果たす「信頼」。例えば、お隣さんを信頼していれば、旅行の際に子供を預けられるかもしれません。その場合、ベビーシッターを雇う費用を払わなくて済むわけです。2つ目は、様々な交流や情報交換がなされる「ネットワーク」。ネットワークは人間に肉体的、精神的安定をもたらします。打ち溶け合える友達がいるのは健康な生活にとって重要なのは明らかですよね。また、バスケットのボランティアをしたいと思って島本さんに相談したら、とても良いボランティア団体を紹介してもらった、これはネットワークの効用の一つです。3つ目は強制的に定められたルール無しに、お互いを支えあったり、ルールを守ったりする「規範」。まとまりのあるサークルなどは誰の指示も無しに、さっと練習後にモップがけをしたりしますよね。また信用している人の前では、信用されるような行動をとろうとするのが一般的な人間の傾向です。PTAによるパトロール、子供会の清掃活動、無料の子育てセミナー、地域の大運動会。地域の複数のコミュニティが様々に影響しあって、時にこれらのような大きな活動を生むのです。これらの例はコミュニティの3つの価値が、お金を稼ぐという目的を伴わずして「自発的」にものごとを解決した例です。何でもないようなことに思えて、実はこのコミュニティの役割を全てお金によって解決したとして仮定して換算すると、莫大な資金になるといわれています。人間にとってコミュニティは必要不可欠なものです。学校経営や非営利組織の分野では特に注目度が高く、コミュニティの役割は研究として確立しつつあります。

さて、前号でも軽く述べたように(本ブログ上ではここで指す”前号”の記事はまだ掲載していません。大学にスポーツサークルが無い、と言った類いの話です。以後掲載します)、スポーツとコミュニティの関連性については日米間に大きな違いがあります。

まず、アメリカでは前号で述べたように、スポーツがいつでもどこでも楽しめる環境が整っているために、スポーツのためだけにコミュニティを作る必要が日本ほどありません。誰かが代表になりサークルを作って管理、運営をするという面倒なことをするよりは、自分がスポーツをしたいときにコートを訪れて、ピックアップゲームを思う存分楽しみ、満足したら帰宅、というのが一般です。

しかし、それにも関わらずアメリカには日本よりも遥かに多様なコミュニティがあります。それは「人種の坩堝(るつぼ)」という言葉に象徴される、人間の多様性に起因しています。アメリカは国籍、人種、宗教、セクシャリティなど、非常に多様性の富んでおり、それぞれ、とても強力なコミュニティが必ずと言っていいほど存在します。お互いの共通点に共鳴しあうことにより、様々な場面でお互いを支えあっているのです。中国人、ラテンアメリカ、黒人、キリスト教、イスラム教、ゲイ、レズビアン、もちろん日本人のコミュニティもあります。その結束は日本では考えられないほど強く、また活動的です。アメリカの場合はスポーツを通じてコミュニティを作るというよりも、もともとあったコミュニティからスポーツチームを作るという例が多いように感じます。アメリカでは、既存のコミュニティから、それらのコミュニティの結束を強める手段としてスポーツが選ばれるといった傾向が強いのだと思います。


  


続きはこちらから



2011年6月17日金曜日

「組織」と「想定外」

2011年6月16日の日経朝刊から。東京を直撃するM7.3の地震は30年内に70%の確率で起こり、想定損失は112兆円という。今すぐ日本が大きく変わらないと、どうやら関東の人間に未来は無い様だ。 信憑性は分からないが、この数字が嘘でもいいと思う。一人一人が当事者意識を持ち、日本が変わるきっかけになるならば。

メディアは政府を叩き続ける。遅かれ早かれ管政権は確実に退陣するだろう。しかし、誰がリーダーになってもかわりやしない。もはや政府がどうこう言っている場合ではないのだ。そもそも今回の事態を誰もが納得できる方法で解決することなど不可能だ。今回の「想定外」は恐らく人間一人が扱えるキャパシティを超えている。

言葉の遊びではないが、想定外の事態を既存のルールが想定できる訳はない。組織はルールの成文化によって成り立つ。ルールを超えようとするとき、その責任は組織に属さず、個人に跳ね返ってくるから個人は怖くて動けない。組織として動けるようになるにはルールを変えるしかないが、ルールは未来の行動に大きく影響を与えるため、例外をルール化してしまうと大きな弊害が発生することがある。そうやって未来に起こりうる弊害をあれこれ想定しているうちに、大切な時間、大切な命が失われていく。

想定外に組織は対応できないのだ。想定外が全てを変えるこの時代に組織に未来を託すこと自体が間違いなのだと思う。リーマンショックが起きたとき、その「想定外」を「ブラックスワン(映画のブラックスワンとは無関係)」というふうに表現した本が流行ったこともあった。

想定外を超えるのは、結局は個々人がバラバラの情報から真実を掴み方向性を見いだす適時適切な状況判断力、利害を超えたコミュニティによる相互補助の力だと思う。 結局は個人が強くなること、生きる上で必要な仲間を自分で作ること、その総体でしか日本は次に来る危機を乗り越えられないのではないか。

人任せの体質がこの日本を蝕んでいく。少しずつでいい、個々人が体を動かし、現場から感じ、現場から学び、日本の未来の為に行動を起していくこと。その積み重ねでしか日本は変わっていかないのではないかと思う。

だからこそ、まず自分自身が動き続けること。現場を見て、動いて、そして学んだものを基に常に自分を変化させていくこと。それを大事にしていたい。













2011年1月17日月曜日

"奇跡のリンゴ"を読んで

久々に凄い本に出会った。これはスティーブジョブズのスタンフォード大学のスピーチを超えるかもしれない。本当にお勧めです。この本を読んで思ったこと、学んだ事をバスケ界に重ねて散発的に備忘録として書きます。紹介して下さった方に心の底から感謝です。


・りんごが成長するのを助けてあげるだけ。その為に酢や虫取りをする→エンターテインメントや派手な演出は、バスケットボーラーが成長する、やる気が出るのを助けてあげるだけ。本質的な価値向上ではない。

・自然に戻すことが大事→やりたいときにバスケが出来、見たいときにバスケが見られる。押し付けではなくバスケも自然に戻してあげることが重要。

・どんぐりの木をみたことが転機→他の視点を取り入れることによって根本的な解決が見つかるときがある。バスケだけ見ていても絶対に解決しない。

・木村さんが色々な人の助けを得られたこと→狂気とも思える熱意が人の心を、行動を動かすことがある。その人々の協力なければ大きな達成は不可能。

・木村さんの話の上手さ→熱意があるだけでは足りない。人の心を動かすには話術、それ以上にコミュニケーション能力が必要。

・昔にエンジニアとして熱中していた時期があった→熱中したことが夢の達成にどう関わってくるかは分からないが、真剣に取り組んだ経験は思わぬ形で夢の達成を後押ししてくれる。

・食っていけるようにしなくてはいけない→生活ができるようにならなければ、次世代がついてこない。それはバスケも同じでプレーヤー、マネジメント共に飯が食えるようにならないと社会という大枠の視点では何も変わらない。

・家族、周囲の畑への迷惑に心を痛めていた→私利私欲が動機の場合は周囲の人間は動かない。周囲への配慮があったことが協力を呼んだ。





2011年1月13日木曜日

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(1)


大学時代、コミュニティ論を勉強していた事から、アメリカに留学中に書いた記事です。社会人になった今、なおさらネットワークの重要性を感じています。スポーツ界で働きたい、でもどうすればいいのか分からないという人に加え、スポーツ界に限らず就職活動している学生にも何かしらのヒントを与えられればと思います。今回の題目でコネを学術的に説明した後、その後の題目でネットワークを作る上でのボランティアの有用性を論じます。

(参考文献)
    
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ついにNBAが開幕しました。既に数回NBAを見に行っているのですが、11月5日の試合では、40周年を記念し、歴代の名選手がコート上に登場しました。デトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてさらにはショーン・ケンプも生で見ることができました。過去のハイライト映像等、豪華な演出に加え、当日の会場はほぼ満席で、式典中の一体感には鳥肌がたちました。

今回は”コネ”の基本的な考えと重要性について述べたいと思います。

さて、コネと聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「あいつ、教授のコネで大手企業に受かったらしいよ」「アイツがいい大学入れたのはどうせ親のコネだろ」などの会話はよく聞くコネの使用例だと思います。日本でコネ、というと、汚い、媚を売る、などが連想され、どこかネガティブな響きがしませんか。私の考えでは、日本人にはコネに対して嫌悪感を抱く人が多いように感じます。

しかし、アメリカではコネはビジネスをする上で決定的な要素であり、アメリカ人もそれを認識しているため、日本ほどネガティブな響きを含みません。アメリカは実力社会だ、というイメージからか、人間関係のしがらみなどほとんど無く、実力だけが何よりも評価されると勘違いする人がいますが、実はアメリカは日本以上にコネ社会で、さらに学歴社会です。イチローがマリナーズに来られたのも、コネの影響力が大きかったといわれています。イチローの元出身の球団である元オリックス・ブルーウェーブは任天堂の本社がある神戸が本拠地ですし、シアトル・マリナーズのオーナーは任天堂の社長です。程度はあるにせよ、選手獲得の意思決定に影響力があったことは間違いありません。(これは当時の推測です。事実に基づいた発言ではありません。)


コネに対する偏見を解決するため、コネの定義や基本原理について解説したいと思います。まずコネ、とは英語の”コネクション(Connection)”に由来します。状況によって意味や定義がやや曖昧なので、ここでは単純に「人と人のつながり」と定義したいと思います。図1ではAさんはBさんに対してネットワークをさらに類義語としてよく用いられる”ネットワーク”ですが、ここでは「コネクションの集合」(図2)と定義したいと思います。その意味でコネクションとネットワークは意味が若干異なります。次に、コネクションやネットワークが就職や仕事に有効に働く基本原理について例を挙げながら述べたいと思います。


AさんとBさんの間には過去の経験から、強い信頼関係があります。さらにBさんとCさんも同じように強い信頼関係があります。AさんとCさんは全く面識がありません。しかし、BさんはAさんもCさんも強く信頼しているわけですから、CさんはAさんにとって信頼できる可能性が高いといえます(図3)。Bさんのような存在を”仲介者”、また仲を取次ぐ行動を”仲介”とここでは定義します。この原理は非常に近い好みをもっている友達が強く推薦してくれた女の子は、高確率で自分の好みにあっているのと似ています。ではもう少しまじめな、就職の例に置き換えてみましょう。A君はB教授にゼミでの献身的な活動を通じての厚い信頼があります。B教授は大手企業の社長であるC氏と過去の仕事の成功を通じての強い信頼関係があります。B教授がA君をC氏に強く推薦したので、A君とC氏は一度面接をしただけで、一般公募とは別に大手企業の内定を獲得しました。これはコネクションが有効に機能した例です。このような例は表立って見えづらい現象ですが、実は数多く存在します。


ここで、C氏はA君のことをもっと調べるべきだ、他の人に不公平だから一般公募を受けるべきだ、と思う人もいるかもしれません。しかし、コネクションに基づく人間評価は、何千、何万という学生を一度に相手にする企業面接よりはるかに効率的です。時間はいつも限られています。一般公募の場合は、大体の場合、1、2ヶ月の間に数枚の履歴書、5回程度の面接で人間を判断せねばなりません。この状況下で全員を公正に評価することなど不可能です。1、2ヶ月の期間ならば、自分の能力を誇張したり偽ったりして表現することも可能ですし、テストや口先のみに優れて、実際は無能な人間はたくさんいます。逆もしかりで、短時間で自分を表現することは不得手でも、長期間の仕事になると卓越した能力を発揮する人間もいます。その一方でコネクションの場合、1年もしくは2年間など、じっくりと観察した上での仲介であれば、その企業にふさわしくない人間を採用してしまう危険性を一般公募より遥かに削減することができ、より正確な判断を短期間かつ少ない費用で可能にします。お見合いのカタログから自分の結婚相手を選ぶのと、親友の勧める女性と交際してみるのとでは、どっちの方が安心できるでしょうか。もちろん、親友、ですよね。
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(続きの記事)
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/2.html