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2012年9月30日日曜日

「あなたがスポーツを子供にさせたから、今日食べるご飯がないの」

今日は東工大の蒲田キャンパスで行われた社会起業関係のシンポジウムに参加してきました。
http://www.teu.ac.jp/sentre/

スポーツの価値って何なのだろう、スポーツができることって何なのだろう、そんなことを深く、深く考えさせられることがあったので、心に留めておくために、久しぶりにブログを書こうと思いました。
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このシンポジウムでどうしても聞きたかったのが、大学時代に一緒に障害者とのスポーツ交流会のプロジェクトをやっていた山田貴子ちゃん(以下から、やまちゃん)の経営しているWAKU WORK Englishの話。
http://wwenglish.jp/
フィリピン人の英語教師と日本人をSkypeで繋ぎ、ビジネスにするもの。ただ、安価な英語レッスンというだけではない。フィリピン人がしっかり稼げるビジネスモデルを構築し、フィリピンの若者の自立や夢を追うことを支援しようとしている。

スポーツ大好きっ子だったやまちゃん。大学4年生まではスポーツでフィリピンの子供達を笑顔にしたいと言ってフィリピンに何度も通っては、ストリートチルドレンとバスケットボールをしていた。満面の笑みの子供たちに囲まれて、楽しい時間をすごしていたけれど、4年生の終わりも近づいたころ、フィリピン人の子供の母親の一言が彼女の考え方を一気に変えたという。

「子供達は楽しいし笑ってるけど、あなたと一日遊んでいたせいで、子供がはたらくことができず、私たちは今日食べるご飯がないんだよ」

ボクはその場にもちろん居たわけではないし、やまちゃんから間接的に聞いた言葉にも関わらず、スポーツを愛する人間としてすごく悔しい思いがした。でもこれが現実であって、認めるべき事実なんだって思った。やまちゃんはそこから、本当にフィリピンの役に立つにはフィリピンの人が経済的に自立し、夢を追うために、ちゃんと稼げるビジネスモデルを現地でつくらなくちゃいけないと思ったという。

スポーツの果たせる価値って何なのだろう。スポーツに求められる役割ってなんなんだろう。もちろん、フィリピンと日本では状況が違う。でも、フィリピンの子供のお母さんが言っていたことは、すごく本質をついているのだと思うのだ。

「部活動ばっかりやってないで、勉強しなさい。いい大学に行きなさい」

そういう日本人の母親も、遠からずフィリピンの母親と同じことを言っている。その反論としてボクらは部活動は「チームワーク」「ヒトとヒトのやり取り」「礼儀作法」を知るこれとない場所とかと言ってスポーツの価値を正当化しようとする。

だけど、それってスポーツだけ特有の価値なんだろうか。WAKU WORKに勤めるフィリピン人の学生は、スポーツをしていなくたって、英語を一生懸命勉強し、組織の中で頑張り、仲間と励まし合い、稼げるようになって余った奨学金を孤児院に寄付し、立派に社会との関わり合いの中で生きている。しかもやまちゃんはこういう。

「私が一般企業さんに研修として使ってもらえないか営業に行く時は、一切フィリピンの事情は話しません。単純に英会話教室の他社さんと比較して、安価かつ高品質のサービスであることだけを強調して使ってもらうよう営業しています」

こういう姿勢こそがフィリピン人に自尊心をもたせ、自立に導くのだと思う。僕が親だったら、適当に部活動をやるくらいなら、きっとWAKU WORKでインターンしてきなさい、と思ってしまうだろう(部活を適当にやるような子はWAKU WORKでは必要とされないと思うけど)。



スポーツを通じて社会問題を解決する。スポーツにしかできないことがある。決してその想いは消えてはいないし、揺らいでもいない。けれど、今日話を聞いて衝撃を受けた現実は、目を背けずにいたいのだ。


「あの時スポーツに出会えたことが、自分の人生で本当に役にたっている」
「スポーツを選んだからこそ、本当にあの子は強く生きていく力を身につけた」


今を生きる子供達が、今を生きる子供達を想う母親達が、10年後、20年後、そう思ってくれるように。そして、


「スポーツの力があるからこそ、今の日本が強く、逞しくある」



20年後、30年後、そんな社会になっているように。そんなふうに僕自身が振り返れるように。コツ、コツ、コツ、コツ、近道はない。今できることを行動として積み重ねていこうと思う。

今度は社会人として同じフィールドで、もっともっと高いハイタッチができる日が来るように。


やまちゃん、ほんとカッコ良かったな。もっと自分もがんばろっと!


山田貴子ちゃんのインタビュー記事
http://webronza.asahi.com/synodos/2012021700001.html

やまちゃんと一緒にやってたバリアフリースポーツ
http://city-sports.sfc.keio.ac.jp/top.htm

2011年7月27日水曜日

スポーツの価値発信の新たな可能性~スポーツとコミュニティ~(2)

しばらく時間が空いてしまいましたが、大学生の時にHOOP HYSTERIAに投稿していた記事の前回の続きです。

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日本の場合はどうでしょうか。日本に住んでいるのはほとんどが日本人。また日本人はほとんどが無宗教であり、ゲイやレズビアンに対する偏見の目は根深いものがあります。アメリカ人に比べると日本人は同質性が全体的に強いため、もともとのバックグラウンドというよりは、スポーツそのものがきっかけとなってコミュニティを作ることが多いように感じます。初等、中等教育で部活動は大きな役割を成し、その大半はスポーツです。中高の部活を通じて一生の友達を得たという人も数多くいるのではと思います。その後の大学や企業内でも、高校卒業後、部活動には関わらないがそれでもスポーツを続けていたいという人々が数多く居り、プレーするために自発的に仲間を集め様々なコミュニティを作っています。こういったコミュニティ形成のスタイルは依然として根強く日本社会に定着しています。このように、スポーツは日本のコミュニティ形成において非常に重要な役割を担っています。またコミュニティを形成することによって、「見えざる価値」を生み出し、日本の社会を支えてきたのです。

その一方で、現在問題となっているのが少子高齢化、財政難によるスポーツに関する国の予算の大幅なカット、そしてそれに伴ったスポーツ自体の縮小です。事実、日本のスポーツは、施設の維持や、施設の従業員の確保などにおいて、国の予算に大きく依存し、低料金でサービスを提供してきました。税金を必要以上に浪費していた事実もあるようです。ある意味カットは当然のことかもしれません。しかし、ここでの問題点は、地域自治体が政府から自立した運営をするのに充分な方法論や経験を確立するのを待たずして、急速に予算のカットが進んでいることです。これらが影響してスポーツの運営に支障をきたし、コミュニティが減少するなどの事態が起きた場合、地域社会の結びつきや生活環境に悪影響をきたすおそれがあります。予算カットを主張する側に「スポーツをやらない人がいるのだから、スポーツに関してはスポーツをする人間だけがお金を払うべきで、全く税金の投入はすべきでない」という極端な意見がまれにあります。もちろん一部納得できる部分もあります。しかし、コミュニティの説明で述べたように、スポーツをしていない人でも、間接的にスポーツによるメリットを享受している可能性は充分にありえるので、必ずしも現在スポーツをしている人だけが資金を全て負担すべきという主張が理にかなっているとは思えません。

スポーツが予算カットの矛先にされたように、スポーツの立場が日本社会において比較的弱い立場にある理由の一つは、スポーツの価値が依然として多く「見えざる価値」を含むということです。価値が不可視のものであり、感覚的なものであれば、「スポーツ愛好家の単なる主観的な主張だ」と批判を受けても、反論する手立てがありません。これは「スポーツ」という研究分野が日本で確立されていないことの結果でもあります。しかしそれが日本スポーツ界の現状です。現在のスポーツの見えざる価値を、「測量可能な価値」にし、スポーツの社会的な必要性をアピールすることがもっと必要なのです。税金を投入されたとしても、有効活用した結果それを上回る経済効果を生み、しかもそれを証明できれば問題ないはずなのです。スポーツの存在によってどの程度地域の積極的な活動を生み出し、お金と労働力が削減されたのか。どれほど健康に寄与し、保険料の削減に貢献したのか。これらは一例に過ぎませんが、スポーツの価値を誰もが共有できるように数値化し明確化するのは必須だといえます。

あいまいな価値を「数」というものに置き換えて表現するのは、困難な作業であることは間違いありません。しかし、既に研究の進んでいるコミュニティという価値尺度からスポーツを見つめなおすことにより、スポーツの見えざる価値を測定可能な価値へと転換することが容易になり、スポーツの価値発信を新たな次元へと推し進めることができるのではないかというのが私の主張です。

次回はその数値化に関する実際の取り組みについて、近年よく話題に上がる総合型地域スポーツクラブの例に触れながら解説していきたいと思っています。

それではまた次号。


  

2011年6月26日日曜日

スポーツの価値発信の新たな可能性~スポーツとコミュニティ~(1)


また、シアトル留学中にHOOP HYSTERIAの会報に書いた記事を転載します。

震災後、コミュニティの存在が見直されていることからも、スポーツとコミュニティの関連性は今後もスポーツを考えていく上では重要な事柄だと思っています。

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皆さんこんにちは。今月はシアトルに悲しいニュース。シアトル スーパーソニックスがオクラホマの企業に買収されてしまいました。縁あってシアトルに来ることになったので、ソニックスの熱狂的なファンになるぞ、と渡米前に意気込んできた私にとって、とてもショックなニュースでした。ソニックスのキーアリーナの前や街中のお店などで、反対の署名運動やポスターがちらほら見られますが、将来的に移転は避けられないように思います。

さて、今回は前回を引き継ぎ、バスケット限定の枠から少し遠ざかって、スポーツがコミュニティに与える影響について述べたいと思います。スポーツとコミュニティの関連性については日本では比較的近年注目され始めた概念です。さらにスポーツを通じて作られるコミュニティの形は、日米で大きな差異があり、且つ、日本のスポーツを考える上で非常に重要な位置を占めていると考えています。今回は今までのトーンとは少し変わって、スポーツをより価値あるものとして証明していく必要性について述べます。

まず「コミュニティ」という言葉について説明します。コミュニティという言葉はカタカナで表現されていることに象徴されるように、元々は日本に無かった概念です(正確にいうなら、同様の事象・概念はあったが、英語のCommunityと全く同義のものは日本に言語として存在しなかった、ということと言った意味合いであると補足しておきます)。とても使いやすそうな響きですが、一見そのように見えて実は曖昧で認識の違いを生みやすいので、ここでは「①共通の目的や、趣味などを通じて②自発的に形成された③社会的集団」と定義しておきたいと思います。例えるなら、Hoop Hysteriaは①バスケットボールへの愛を共通点とし、②誰からの強制力も無く島本さんを中心に自発的に発生した、③暗黙の了解にて良識と思いやり、そして役割を持って支えあう集団であると言えるでしょう。

さて、コミュニティと聞くと、何を思い浮かべるでしょう。サークル、地域の子供会、スポーツ少年団、様々だと思いますが、コミュニティの果たす役割、と聞かれるとどうでしょう。あまり明確なイメージを持つ人は多くないと思います。実は、コミュニティは「見えざる」大きな価値を持っているのです。その価値の理由は「自発性」であり、自発性の構成要素は大きく3つであると言われています。1つ目は、お互いを信じあうことによりお金や労働力の代わりの役割を果たす「信頼」。例えば、お隣さんを信頼していれば、旅行の際に子供を預けられるかもしれません。その場合、ベビーシッターを雇う費用を払わなくて済むわけです。2つ目は、様々な交流や情報交換がなされる「ネットワーク」。ネットワークは人間に肉体的、精神的安定をもたらします。打ち溶け合える友達がいるのは健康な生活にとって重要なのは明らかですよね。また、バスケットのボランティアをしたいと思って島本さんに相談したら、とても良いボランティア団体を紹介してもらった、これはネットワークの効用の一つです。3つ目は強制的に定められたルール無しに、お互いを支えあったり、ルールを守ったりする「規範」。まとまりのあるサークルなどは誰の指示も無しに、さっと練習後にモップがけをしたりしますよね。また信用している人の前では、信用されるような行動をとろうとするのが一般的な人間の傾向です。PTAによるパトロール、子供会の清掃活動、無料の子育てセミナー、地域の大運動会。地域の複数のコミュニティが様々に影響しあって、時にこれらのような大きな活動を生むのです。これらの例はコミュニティの3つの価値が、お金を稼ぐという目的を伴わずして「自発的」にものごとを解決した例です。何でもないようなことに思えて、実はこのコミュニティの役割を全てお金によって解決したとして仮定して換算すると、莫大な資金になるといわれています。人間にとってコミュニティは必要不可欠なものです。学校経営や非営利組織の分野では特に注目度が高く、コミュニティの役割は研究として確立しつつあります。

さて、前号でも軽く述べたように(本ブログ上ではここで指す”前号”の記事はまだ掲載していません。大学にスポーツサークルが無い、と言った類いの話です。以後掲載します)、スポーツとコミュニティの関連性については日米間に大きな違いがあります。

まず、アメリカでは前号で述べたように、スポーツがいつでもどこでも楽しめる環境が整っているために、スポーツのためだけにコミュニティを作る必要が日本ほどありません。誰かが代表になりサークルを作って管理、運営をするという面倒なことをするよりは、自分がスポーツをしたいときにコートを訪れて、ピックアップゲームを思う存分楽しみ、満足したら帰宅、というのが一般です。

しかし、それにも関わらずアメリカには日本よりも遥かに多様なコミュニティがあります。それは「人種の坩堝(るつぼ)」という言葉に象徴される、人間の多様性に起因しています。アメリカは国籍、人種、宗教、セクシャリティなど、非常に多様性の富んでおり、それぞれ、とても強力なコミュニティが必ずと言っていいほど存在します。お互いの共通点に共鳴しあうことにより、様々な場面でお互いを支えあっているのです。中国人、ラテンアメリカ、黒人、キリスト教、イスラム教、ゲイ、レズビアン、もちろん日本人のコミュニティもあります。その結束は日本では考えられないほど強く、また活動的です。アメリカの場合はスポーツを通じてコミュニティを作るというよりも、もともとあったコミュニティからスポーツチームを作るという例が多いように感じます。アメリカでは、既存のコミュニティから、それらのコミュニティの結束を強める手段としてスポーツが選ばれるといった傾向が強いのだと思います。


  


続きはこちらから



2011年1月13日木曜日

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(2)

前回はコネクションとネットワーク、そしてネットワークの効用について説明しました。今回はネットワークの負の側面に触れます。総括へと移ります。次回の記事ではネットワークの構築の具体的な手段について書きます。


【前回記事】
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/1.html


(参考文献)
    

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ネットワークの利点は大きく3点あると考えます。ちなみに強いコネクションを数多く持っていることを「広範なネットワークを持っている」とか「強いネットワークをもっている」と表現したりします。例えば、「島本さんはバスケットボール界において幅広いネットワークを持っている」という言い方もできるでしょう。さて、本題に戻ると、強いネットワークを保持していると、信頼を得ることが容易になることから、行動範囲が飛躍的に拡大します。就職活動はまさにこの例ですし、信頼があればビジネスの商談も早くそしてより大きな規模で進められるでしょう。また情報の収集力も向上します。情報は自分で探すよりも専門家に聞くのが一番早く効率的だからです。今アメリカで流行のラップミュージックが知りたいときに、もしアメリカ人の詳しい友達がいれば、その人に聞くのが一番早く効率的です。自分で探そうとすると、インターネットなど大量の情報の中からさがしたり、もしくは色々視聴したりして、多くの時間を割かねばなりません。最後に、ネットワークによって創造力も向上するとも言われています。ネットワークが広ければ広いほど、いろいろな人からアイデアをもらったり、自分の意見にアドバイスを求めたりすることができるからです。

しかしながら、ネットワークが問題になる例も存在します。それは仲介者が公正な倫理観を持っていない場合です。例えば、仲介として賄賂の要求や売春行為が主なものとして上げられます。また自分の単なる好き嫌いや血縁関係、機嫌によって判断を決めるような人間が仲介をすると、不公平が生じます。このような状況、風潮を”官僚主義”といいます。官僚主義が蔓延すると先ほど述べたA君の立場に当たる人間は、仲介者の機嫌をとることのみに専念し、本来専念すべき研究や、活動成果の向上のために努力をすることをしなくなってしまいます。この状況が過激化すると、コネクションを得ることだけに秀でた無能な人間にますます力と資金が集中し、実力を備えていてもコネクションを得ることが難しい人間はどんどんチャンスから遠ざかります。不条理な風潮が漂うようになり、全体のモチベーションは低下します。その結果、経営陣は、非倫理的かつ無能な人間で構成されるようになり、ずさんな経営の末路には、一線を越えた瞬間に、色々な人を犠牲にしながら一気にシステムが崩壊する可能性があります。ライブドアや村上ファンドは典型的な例で、経営者の不祥事が原因で経営者と関与した人間が信頼を失い、事業の撤退を余儀なくされただけでなく、日本の株価市場に大きな打撃と、株式投資に対する不信感を生み出しました。(今読み直してみると、話を大きくしようとして、ちょっと論点がズレてますね。ライブドアと村上ファンドの例はネットワークの負の事例とはあまり関係のない、自由資本主義の負の側面から起きた事件だと今は思います。まだ小沢一郎さんの献金問題の方が具体例としては近い気がしますが、学生の時に書いた記事そのままにしておきます。)このようなスキャンダルは日本でも数多く発生しており、悪い例は世間一般にあっという間に広まるのが通例です。恐らく、これらの事実が日本人のコネに対する嫌悪感が強めているのだと思います。仲介者も仲介される側もコネクションの機能を活用する際は、官僚主義下の仲介行為がもし明るみに出れば双方が社会的信用を一気に失い、職を失うだけでなく、永久に汚名を負って生きることを余儀なくされる可能性があることを常に心に留めねばなりません。アメリカではビジネスにおける不正行為は厳しく禁じられており、法律としても、社会的圧力としても、抑止力は日本より格段に強いようです。アメリカでそのルールを破ろうものならビジネス界から永久に追放されます。正式な契約以外でのお金のやり取りはもちろん、アメリカではビジネスでの関係がある人々の間においてギフトを交換することですら一切許容されていません。ビジネスにおける公正、公平の倫理観そしてそれを強要するルールが強く働いている状況においてのみネットワークの機能は正常に働きます。仲介の状況判断は、それまでの活動の成果また、成果に至るまでのプロセスによってのみ判断されるべきなのです。

しかしながら、忘れてならないのは、ネットワークを正しく使えば、非常に有益であるということです。日本バスケットボール界には官僚主義が強く蔓延しているかのように見えます。Hoop HysteriaのWeb上のだむだむ探検隊のレポートを読む限りでは、世界選手権のマネジメントはそれを反映しているように思われ、また相当深刻な状況であるように思われます。これらの状況を打破するには、ネットワークの原理、影響力を正しく理解すると共に、どうその壁を乗り越えていくか、戦略を立てることが必要なのです。自分が公正かつ公平な人間であると胸を張っていえるのであれば、自分はネットワークを得るのにふさわしい実力をもっていると自信を持っていえるのならば、コネクションを使うことをためらってはいけません。また、今はネットワークをもっていないとしても、バスケットボールに対して何か貢献できると信じるもことを諦めずに実践し、社会発信を続けていれば、公正な倫理観と強力なポジションの両方を持ち合わせた人間がいつか必ず評価してくれます。それは私たちの組織したSMRGでの実践活動から強く感じたことです。確かに日本のスポーツ界の官僚主義はアメリカよりはるかに強く、希望は小さいかのように見えます。しかし、理想と現実のギャップをしっかりと把握し、戦略を立て、それを実践に移す強い意志があれば、明るいバスケットボール界の将来を見ることは決して不可能ではないと思っています。

次回は、どのようなネットワークが望ましいか、どのようにネットワークを作るのか等、ネットワークに関してもっと踏み込んで述べたいと思います。

それではまた次号!
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次回はネットワークの構築の仕方について述べます。

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(1)


大学時代、コミュニティ論を勉強していた事から、アメリカに留学中に書いた記事です。社会人になった今、なおさらネットワークの重要性を感じています。スポーツ界で働きたい、でもどうすればいいのか分からないという人に加え、スポーツ界に限らず就職活動している学生にも何かしらのヒントを与えられればと思います。今回の題目でコネを学術的に説明した後、その後の題目でネットワークを作る上でのボランティアの有用性を論じます。

(参考文献)
    
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ついにNBAが開幕しました。既に数回NBAを見に行っているのですが、11月5日の試合では、40周年を記念し、歴代の名選手がコート上に登場しました。デトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてさらにはショーン・ケンプも生で見ることができました。過去のハイライト映像等、豪華な演出に加え、当日の会場はほぼ満席で、式典中の一体感には鳥肌がたちました。

今回は”コネ”の基本的な考えと重要性について述べたいと思います。

さて、コネと聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「あいつ、教授のコネで大手企業に受かったらしいよ」「アイツがいい大学入れたのはどうせ親のコネだろ」などの会話はよく聞くコネの使用例だと思います。日本でコネ、というと、汚い、媚を売る、などが連想され、どこかネガティブな響きがしませんか。私の考えでは、日本人にはコネに対して嫌悪感を抱く人が多いように感じます。

しかし、アメリカではコネはビジネスをする上で決定的な要素であり、アメリカ人もそれを認識しているため、日本ほどネガティブな響きを含みません。アメリカは実力社会だ、というイメージからか、人間関係のしがらみなどほとんど無く、実力だけが何よりも評価されると勘違いする人がいますが、実はアメリカは日本以上にコネ社会で、さらに学歴社会です。イチローがマリナーズに来られたのも、コネの影響力が大きかったといわれています。イチローの元出身の球団である元オリックス・ブルーウェーブは任天堂の本社がある神戸が本拠地ですし、シアトル・マリナーズのオーナーは任天堂の社長です。程度はあるにせよ、選手獲得の意思決定に影響力があったことは間違いありません。(これは当時の推測です。事実に基づいた発言ではありません。)


コネに対する偏見を解決するため、コネの定義や基本原理について解説したいと思います。まずコネ、とは英語の”コネクション(Connection)”に由来します。状況によって意味や定義がやや曖昧なので、ここでは単純に「人と人のつながり」と定義したいと思います。図1ではAさんはBさんに対してネットワークをさらに類義語としてよく用いられる”ネットワーク”ですが、ここでは「コネクションの集合」(図2)と定義したいと思います。その意味でコネクションとネットワークは意味が若干異なります。次に、コネクションやネットワークが就職や仕事に有効に働く基本原理について例を挙げながら述べたいと思います。


AさんとBさんの間には過去の経験から、強い信頼関係があります。さらにBさんとCさんも同じように強い信頼関係があります。AさんとCさんは全く面識がありません。しかし、BさんはAさんもCさんも強く信頼しているわけですから、CさんはAさんにとって信頼できる可能性が高いといえます(図3)。Bさんのような存在を”仲介者”、また仲を取次ぐ行動を”仲介”とここでは定義します。この原理は非常に近い好みをもっている友達が強く推薦してくれた女の子は、高確率で自分の好みにあっているのと似ています。ではもう少しまじめな、就職の例に置き換えてみましょう。A君はB教授にゼミでの献身的な活動を通じての厚い信頼があります。B教授は大手企業の社長であるC氏と過去の仕事の成功を通じての強い信頼関係があります。B教授がA君をC氏に強く推薦したので、A君とC氏は一度面接をしただけで、一般公募とは別に大手企業の内定を獲得しました。これはコネクションが有効に機能した例です。このような例は表立って見えづらい現象ですが、実は数多く存在します。


ここで、C氏はA君のことをもっと調べるべきだ、他の人に不公平だから一般公募を受けるべきだ、と思う人もいるかもしれません。しかし、コネクションに基づく人間評価は、何千、何万という学生を一度に相手にする企業面接よりはるかに効率的です。時間はいつも限られています。一般公募の場合は、大体の場合、1、2ヶ月の間に数枚の履歴書、5回程度の面接で人間を判断せねばなりません。この状況下で全員を公正に評価することなど不可能です。1、2ヶ月の期間ならば、自分の能力を誇張したり偽ったりして表現することも可能ですし、テストや口先のみに優れて、実際は無能な人間はたくさんいます。逆もしかりで、短時間で自分を表現することは不得手でも、長期間の仕事になると卓越した能力を発揮する人間もいます。その一方でコネクションの場合、1年もしくは2年間など、じっくりと観察した上での仲介であれば、その企業にふさわしくない人間を採用してしまう危険性を一般公募より遥かに削減することができ、より正確な判断を短期間かつ少ない費用で可能にします。お見合いのカタログから自分の結婚相手を選ぶのと、親友の勧める女性と交際してみるのとでは、どっちの方が安心できるでしょうか。もちろん、親友、ですよね。
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(続きの記事)
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/2.html