2016年4月21日木曜日

瓦解

名も無き勇者の手によって、世界の理不尽が少しずつ明らかにされていく。

ただ、この先に本当に僕たちの望む未来が待っているのかどうかは分からないと感じている。

ヒトは誰も完全になどなれない。

どんな人間でも過ちを犯し、その過ちを誰もが完全に克服することができるとは限らない。

だからこそ、ヒトは補い合い社会を形成してきた。

この世界に起きている変化は、リーダーに完全を求め、もしその不完全さから不利益が少しでも発生すれば、時のリーダーを袋だたきにし失墜させる構造を作ろうとしていることだ。

人生のほとんどは自分の選択の結果であることは誰もが認めるところだろう。うまくいっているときはいい。けれど、ほとんどの人間が自分の選択が思わぬ結果になった時、誰かを責めて心のバランスを取ろうとする。

それを助長する仕組みを作り上げることが正しいことなのだろうか。

絶対に達成不可能な完全を求めることはさらなる隠蔽を助長し、いつかそれが邪悪の巨大な塊となり、臨界点を超えた時点で無関係な人たちを巻き込みながら地獄へと引きずり込んでいく。

こんな時代だからこそ、邪悪の塊に自分や大切なヒトの人生を犯されそうになったとき、闘うのか、すり抜けるのか、はたまた撤退するのか。状況を見極め、冷静に判断し、困難を切り抜けられる強さをもたなければならないのだと思う。

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