2011年1月30日日曜日

日本のバスケにもっと自由を。

日本のバスケには自由が少ないと思う。心の底からバスケを愛してしまった結果、逆に納得のいかない人生を過ごしてしまう人もいるのではないかと思う。僕自身バスケに足を取られ、危うく納得のいかない大学生活になってしまうギリギリのところまでいった。

日本でバスケとともに歩むという事、その先にある希望に満ちた選択肢は、多いとは言えない。そう強く感じる出来事が最近あった。

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bjリーグの東京アパッチのボランティア後、ボランティアの参加者と飲み会を開催したら、学生が沢山参加していた。たまたま、隣に座った大学一年生がNBAでの経験を聞きたいと色々話すなかで、その学生がボソッと漏らした。

「このまま学校にいると、満然と四年間が流れてしまって、何も残らない四年間になってしまう気がして怖いんです」

その学生は名門大学で、傍から見れば羨ましい学校生活を羨まれるような立場にいる。今の学生を襲う不安感とは、きっとこういうことなのだろう。輝かしい選択肢や、充実した毎日が目の前にある時に人間に起こる現象は「迷い」だ。しかし、目の前に未来が見えない時、人間が感じるのは「恐怖」なのだと思う。大学生になれば、義務教育の延長である受験から開放され自分で選んだ専門の中で学生は好きなことができる、輝かしい未来を描ける、、、ハズだ。そうあるべきだ。しかし、今の日本の高等教育はそうなっていない。

大学にはいれば、使えるかもわからないマクロ経済だの法律体型だのを教授が黒板に書きながら一方的に話すだけで、何が自分の役に立つのかサッパリイメージが湧かない。金太郎飴しかできない教育の中、学生は就職活動をするタイミングで自分にアピールできる武器が殆どないことに気がつく。就職活動が早期化する中で、その現象はますます加速するだろう。
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日本には自由が少ない無いと感じるのだ。物質的な欲望は満たされ、不足するものなど殆ど無いハズにも関わらずだ。自由とは、今与えられているものが多いか少ないかによって決まるのでは無い。これから自分に迫ってくる未来を自分の意思で決めることができるかどうかによって決まるのだと思う。それはお城の中のジャスミン姫が庶民の暮らしに憧れるのと同じだ。だから自由の大きさは自分にとって素敵な選択肢が目の前にどれだけ多くあるかによって左右されるのだと思う。成熟しきってしまった日本社会で輝かしい未来を見出すのは難しい。本当は大学はそういった社会の中で何を心の拠り所に生きるかを伝える場所であるべきではないかと思う。

そして、日本のバスケはどうだろう。子供の頃バスケという選択肢にめぐりあい突き進んだ結果、愛したバスケットと歩みたいと心の底から思ってしまった時、目の前に選択肢は殆どないことに気がつく。経済的な充足をかなぐり捨てなければ選ぶ事ことのできないバスケという道を多くの人は諦めていく。
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僕が20歳の時、bjリーグもなかった2004年夏、僕の求める日本のバスケに関わる為の道が全くない事が分かった。バスケのクラブ運営に関わるには大企業に入り、運良くスポーツの担当になれれば関われる。でも任期も短く、すぐに他の部局に回される。バスケの実績が無い僕には、他の手段は、無い。自分にとっては衝撃の事実だった。バスケを愛する気持ち以上に誇れるものなど無かった。けれどバスケが好きな気持ちを変える事はできない。実績もない。バスケ以上好きにななれるものに巡り会える自信など、微塵も無かった。

日本のバスケとともに歩んで行く事が僕の中で恐怖に変わった。納得できる人生を送ることができるか、不安で仕様が無かった。

僕は理想に当てはまる道を探していた。でも、ある時気がついた。そもそも僕の求める生き方に似たような例など無いのだ。だったら、自分が道なき道を進んでいくしかない。それに気がついたのは、スポーツ界を変えていこうという同志に会い、その実践をしていく過程においてだった。



道が無いことへの「恐怖」は、道を切り開いていくことへの「挑戦」へと変わった。



今もゾッとする。この同志達と出会わなければ、どれだけ鬱々とした人生を送っていただろうか。少なくとも、今の充実した時間は絶対に無い。

SMRGの実践活動第1弾のSports Campusの写真。自分に未来を与えてくれたのはバスケットボールではなく、慶應野球部の存在だった。第一回の2004年11月6日から、もう6年の月日が過ぎ去った。】
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バスケに出会えたことが、本当に良かったと振り返られる人はまだまだ少ない気がするし、運によるところが多い気がする。一部の運のいい人間しか幸せになれない日本のバスケ界であっては、継続的発展などするはずが無い。だからこそ今、バスケ界で幸せを掴めた人、バスケで苦しんだ人、全てのバスケを愛する人が一つになり、あらゆる業界をまきこみ、運で得た価値を仕組みに落とし込み、苦しみが二度と繰り返さないよう学び、そして多様さを取り込むことで素敵な選択肢を増やしていく必要があると思うのだ。

自ら選択した好きなこと追うことの楽しさ、高揚感、充実感。経済的に成熟し高度成長の望めない日本で物的欲求を満たした先に待っているのは自己実現欲求。今の日本に足りないのは、その欲求を満たす条件となる「自由」だ。もしかしたらバスケだけじゃない。サッカー、野球、ダンス、ダンス、音楽、芸術、好きなことを追うことが日本は物凄く難しい社会なのかもしれない。

だから、伝えたい。大企業に勤めながらでも一つずつステップアップし、夢に近づいていくことはできるのだと。夢を持つことで毎日の小さな業務も夢の達成へと結びつき、ワクワクしながら毎日過ごせるのだということを。夢に向かうために、好きなものを追うために人生のすべて投げ出し、100かゼロの選択を迫られる生き方だけがこの日本で夢を追う手段ではないということを。

僕の様な生き方が、学生時代の僕と同じ様な恐怖を抱いた誰かの、夢とともに不安を抱く誰かの、一つの選択肢になればいいなと思ってこうして今Blogを書いている。自分の人生が最高だったと次の世代にに胸を張れるようになるにはまだまだ、道半ば。一歩ずつ、一歩ずつ。夢を追う人たちと一緒に助けあいながら。


2011年1月17日月曜日

"奇跡のリンゴ"を読んで

久々に凄い本に出会った。これはスティーブジョブズのスタンフォード大学のスピーチを超えるかもしれない。本当にお勧めです。この本を読んで思ったこと、学んだ事をバスケ界に重ねて散発的に備忘録として書きます。紹介して下さった方に心の底から感謝です。


・りんごが成長するのを助けてあげるだけ。その為に酢や虫取りをする→エンターテインメントや派手な演出は、バスケットボーラーが成長する、やる気が出るのを助けてあげるだけ。本質的な価値向上ではない。

・自然に戻すことが大事→やりたいときにバスケが出来、見たいときにバスケが見られる。押し付けではなくバスケも自然に戻してあげることが重要。

・どんぐりの木をみたことが転機→他の視点を取り入れることによって根本的な解決が見つかるときがある。バスケだけ見ていても絶対に解決しない。

・木村さんが色々な人の助けを得られたこと→狂気とも思える熱意が人の心を、行動を動かすことがある。その人々の協力なければ大きな達成は不可能。

・木村さんの話の上手さ→熱意があるだけでは足りない。人の心を動かすには話術、それ以上にコミュニケーション能力が必要。

・昔にエンジニアとして熱中していた時期があった→熱中したことが夢の達成にどう関わってくるかは分からないが、真剣に取り組んだ経験は思わぬ形で夢の達成を後押ししてくれる。

・食っていけるようにしなくてはいけない→生活ができるようにならなければ、次世代がついてこない。それはバスケも同じでプレーヤー、マネジメント共に飯が食えるようにならないと社会という大枠の視点では何も変わらない。

・家族、周囲の畑への迷惑に心を痛めていた→私利私欲が動機の場合は周囲の人間は動かない。周囲への配慮があったことが協力を呼んだ。





2011年1月13日木曜日

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(2)

前回はコネクションとネットワーク、そしてネットワークの効用について説明しました。今回はネットワークの負の側面に触れます。総括へと移ります。次回の記事ではネットワークの構築の具体的な手段について書きます。


【前回記事】
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/1.html


(参考文献)
    

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ネットワークの利点は大きく3点あると考えます。ちなみに強いコネクションを数多く持っていることを「広範なネットワークを持っている」とか「強いネットワークをもっている」と表現したりします。例えば、「島本さんはバスケットボール界において幅広いネットワークを持っている」という言い方もできるでしょう。さて、本題に戻ると、強いネットワークを保持していると、信頼を得ることが容易になることから、行動範囲が飛躍的に拡大します。就職活動はまさにこの例ですし、信頼があればビジネスの商談も早くそしてより大きな規模で進められるでしょう。また情報の収集力も向上します。情報は自分で探すよりも専門家に聞くのが一番早く効率的だからです。今アメリカで流行のラップミュージックが知りたいときに、もしアメリカ人の詳しい友達がいれば、その人に聞くのが一番早く効率的です。自分で探そうとすると、インターネットなど大量の情報の中からさがしたり、もしくは色々視聴したりして、多くの時間を割かねばなりません。最後に、ネットワークによって創造力も向上するとも言われています。ネットワークが広ければ広いほど、いろいろな人からアイデアをもらったり、自分の意見にアドバイスを求めたりすることができるからです。

しかしながら、ネットワークが問題になる例も存在します。それは仲介者が公正な倫理観を持っていない場合です。例えば、仲介として賄賂の要求や売春行為が主なものとして上げられます。また自分の単なる好き嫌いや血縁関係、機嫌によって判断を決めるような人間が仲介をすると、不公平が生じます。このような状況、風潮を”官僚主義”といいます。官僚主義が蔓延すると先ほど述べたA君の立場に当たる人間は、仲介者の機嫌をとることのみに専念し、本来専念すべき研究や、活動成果の向上のために努力をすることをしなくなってしまいます。この状況が過激化すると、コネクションを得ることだけに秀でた無能な人間にますます力と資金が集中し、実力を備えていてもコネクションを得ることが難しい人間はどんどんチャンスから遠ざかります。不条理な風潮が漂うようになり、全体のモチベーションは低下します。その結果、経営陣は、非倫理的かつ無能な人間で構成されるようになり、ずさんな経営の末路には、一線を越えた瞬間に、色々な人を犠牲にしながら一気にシステムが崩壊する可能性があります。ライブドアや村上ファンドは典型的な例で、経営者の不祥事が原因で経営者と関与した人間が信頼を失い、事業の撤退を余儀なくされただけでなく、日本の株価市場に大きな打撃と、株式投資に対する不信感を生み出しました。(今読み直してみると、話を大きくしようとして、ちょっと論点がズレてますね。ライブドアと村上ファンドの例はネットワークの負の事例とはあまり関係のない、自由資本主義の負の側面から起きた事件だと今は思います。まだ小沢一郎さんの献金問題の方が具体例としては近い気がしますが、学生の時に書いた記事そのままにしておきます。このようなスキャンダルは日本でも数多く発生しており、悪い例は世間一般にあっという間に広まるのが通例です。恐らく、これらの事実が日本人のコネに対する嫌悪感が強めているのだと思います。仲介者も仲介される側もコネクションの機能を活用する際は、官僚主義下の仲介行為がもし明るみに出れば双方が社会的信用を一気に失い、職を失うだけでなく、永久に汚名を負って生きることを余儀なくされる可能性があることを常に心に留めねばなりません。アメリカではビジネスにおける不正行為は厳しく禁じられており、法律としても、社会的圧力としても、抑止力は日本より格段に強いようです。アメリカでそのルールを破ろうものならビジネス界から永久に追放されます。正式な契約以外でのお金のやり取りはもちろん、アメリカではビジネスでの関係がある人々の間においてギフトを交換することですら一切許容されていません。ビジネスにおける公正、公平の倫理観そしてそれを強要するルールが強く働いている状況においてのみネットワークの機能は正常に働きます。仲介の状況判断は、それまでの活動の成果また、成果に至るまでのプロセスによってのみ判断されるべきなのです。

しかしながら、忘れてならないのは、ネットワークを正しく使えば、非常に有益であるということです。日本バスケットボール界には官僚主義が強く蔓延しているかのように見えます。Hoop HysteriaのWeb上のだむだむ探検隊のレポートを読む限りでは、世界選手権のマネジメントはそれを反映しているように思われ、また相当深刻な状況であるように思われます。これらの状況を打破するには、ネットワークの原理、影響力を正しく理解すると共に、どうその壁を乗り越えていくか、戦略を立てることが必要なのです。自分が公正かつ公平な人間であると胸を張っていえるのであれば、自分はネットワークを得るのにふさわしい実力をもっていると自信を持っていえるのならば、コネクションを使うことをためらってはいけません。また、今はネットワークをもっていないとしても、バスケットボールに対して何か貢献できると信じるもことを諦めずに実践し、社会発信を続けていれば、公正な倫理観と強力なポジションの両方を持ち合わせた人間がいつか必ず評価してくれます。それは私たちの組織したSMRGでの実践活動から強く感じたことです。確かに日本のスポーツ界の官僚主義はアメリカよりはるかに強く、希望は小さいかのように見えます。しかし、理想と現実のギャップをしっかりと把握し、戦略を立て、それを実践に移す強い意志があれば、明るいバスケットボール界の将来を見ることは決して不可能ではないと思っています。

次回は、どのようなネットワークが望ましいか、どのようにネットワークを作るのか等、ネットワークに関してもっと踏み込んで述べたいと思います。

それではまた次号!
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次回はネットワークの構築の仕方について述べます。

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(1)


大学時代、コミュニティ論を勉強していた事から、アメリカに留学中に書いた記事です。社会人になった今、なおさらネットワークの重要性を感じています。スポーツ界で働きたい、でもどうすればいいのか分からないという人に加え、スポーツ界に限らず就職活動している学生にも何かしらのヒントを与えられればと思います。今回の題目でコネを学術的に説明した後、その後の題目でネットワークを作る上でのボランティアの有用性を論じます。

(参考文献)
    
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ついにNBAが開幕しました。既に数回NBAを見に行っているのですが、115日の試合では、40周年を記念し、歴代の名選手がコート上に登場しました。デトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてさらにはショーン・ケンプも生で見ることができました。過去のハイライト映像等、豪華な演出に加え、当日の会場はほぼ満席で、式典中の一体感には鳥肌がたちました。

今回はコネの基本的な考えと重要性について述べたいと思います。

さて、コネと聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「あいつ、教授のコネで大手企業に受かったらしいよ」「アイツがいい大学入れたのはどうせ親のコネだろ」などの会話はよく聞くコネの使用例だと思います。日本でコネ、というと、汚い、媚を売る、などが連想され、どこかネガティブな響きがしませんか。私の考えでは、日本人にはコネに対して嫌悪感を抱く人が多いように感じます。

しかし、アメリカではコネはビジネスをする上で決定的な要素であり、アメリカ人もそれを認識しているため、日本ほどネガティブな響きを含みません。アメリカは実力社会だ、というイメージからか、人間関係のしがらみなどほとんど無く、実力だけが何よりも評価されると勘違いする人がいますが、実はアメリカは日本以上にコネ社会で、さらに学歴社会です。イチローがマリナーズに来られたのも、コネの影響力が大きかったといわれています。イチローの元出身の球団である元オリックス・ブルーウェーブは任天堂の本社がある神戸が本拠地ですし、シアトル・マリナーズのオーナーは任天堂の社長です。程度はあるにせよ、選手獲得の意思決定に影響力があったことは間違いありません。(これは当時の推測です。事実に基づいた発言ではありません。)


コネに対する偏見を解決するため、コネの定義や基本原理について解説したいと思います。まずコネ、とは英語のコネクション(Connection)”に由来します。状況によって意味や定義がやや曖昧なので、ここでは単純に「人と人のつながり」と定義したいと思います。図1ではAさんはBさんに対してネットワークをさらに類義語としてよく用いられるネットワークですが、ここでは「コネクションの集合」(2)と定義したいと思います。その意味でコネクションとネットワークは意味が若干異なります。次に、コネクションやネットワークが就職や仕事に有効に働く基本原理について例を挙げながら述べたいと思います。


AさんとBさんの間には過去の経験から、強い信頼関係があります。さらにBさんとCさんも同じように強い信頼関係があります。AさんとCさんは全く面識がありません。しかし、BさんはAさんもCさんも強く信頼しているわけですから、CさんはAさんにとって信頼できる可能性が高いといえます(3)Bさんのような存在を仲介者、また仲を取次ぐ行動を仲介とここでは定義します。この原理は非常に近い好みをもっている友達が強く推薦してくれた女の子は、高確率で自分の好みにあっているのと似ています。ではもう少しまじめな、就職の例に置き換えてみましょう。A君はB教授にゼミでの献身的な活動を通じての厚い信頼があります。B教授は大手企業の社長であるC氏と過去の仕事の成功を通じての強い信頼関係があります。B教授がA君をC氏に強く推薦したので、A君とC氏は一度面接をしただけで、一般公募とは別に大手企業の内定を獲得しました。これはコネクションが有効に機能した例です。このような例は表立って見えづらい現象ですが、実は数多く存在します。


ここで、C氏はA君のことをもっと調べるべきだ、他の人に不公平だから一般公募を受けるべきだ、と思う人もいるかもしれません。しかし、コネクションに基づく人間評価は、何千、何万という学生を一度に相手にする企業面接よりはるかに効率的です。時間はいつも限られています。一般公募の場合は、大体の場合、12ヶ月の間に数枚の履歴書、5回程度の面接で人間を判断せねばなりません。この状況下で全員を公正に評価することなど不可能です。1、2ヶ月の期間ならば、自分の能力を誇張したり偽ったりして表現することも可能ですし、テストや口先のみに優れて、実際は無能な人間はたくさんいます。逆もしかりで、短時間で自分を表現することは不得手でも、長期間の仕事になると卓越した能力を発揮する人間もいます。その一方でコネクションの場合、1年もしくは2年間など、じっくりと観察した上での仲介であれば、その企業にふさわしくない人間を採用してしまう危険性を一般公募より遥かに削減することができ、より正確な判断を短期間かつ少ない費用で可能にします。お見合いのカタログから自分の結婚相手を選ぶのと、親友の勧める女性と交際してみるのとでは、どっちの方が安心できるでしょうか。もちろん、親友、ですよね。
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(続きの記事)
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/2.html