2019年1月2日水曜日

光陰

前にもこんなことを書いた気がする。自分が放った闇は、いつか大きくなって自分へと襲いかかる。

けれども近頃は、生まれもって抱える闇もまたあるのだと感じる。それを人は業や宿命、カルマと呼んだりするけれど、その闇と向き合うこともまた、大きな成長の源なのだろう。

闇を消そうと必死に輝いても新たな影は必ず生まれる。光り輝くほどそれは色濃くなる。けれど、それも自分が生み出したものだと思えば、排除することなく、ただその存在を受け入れることもできるのだろう。

音の門と書いて闇とは、昔を生きた人たちは、僕たちより随分と本質と寄り添って生きていたのだろうとつくづく感心させられる。もう少し、違う感覚を研ぎ澄ませてみよう。

起き上がるとき

ようやっと夢から覚めて現実と向き合う時が来たように感じる。

不思議なもので、どれも、これも、環境を理由にして先送りにしてきただけのような気がするのだ。

本当の自分であるために、あれこれと失敗した時の保険を積み上げることにとても長い時間を割いてしまったことは少し情けないことだが、それもまた自分の一部であると受け入れていこう。

高校の時に怪我をしてから止まってしまった時間が動き出す。卓越した努力によって望む結果は必ず手にできるというあの時の感覚を越えることができる手応えとともに。

接戦狙いであってはならない。必ず相手を圧倒できる実力と確信をその手にしてこそ、栄光は掴み取ることができるのだ。