2015年12月31日木曜日
心礎(2015.12.31)
敗戦後、戦死した友人の分も生き抜いた偉大なる先輩達の力で豊かさを手に入れた日本人は次の目標を見失い、時代に合わなくなった先人達の築いた仕組みを抜け出せず、自分の存在価値や生きる意味を探してもがき苦しんでいる。
大好きな人、大好きな場所、そして人間それぞれに運命づけられた心を揺さぶる何かと共に生きる時、人間は突き抜けるような生きる喜びと、本当の自由を掴みとることができる。
そしてそれを追い求めることこそが次世代を生きる人々の生きる糧となると信じる。
我々には、日本には美しい自然、奥深い歴史、そしてアイデアを実現化する技術力と日本人として培ってきた規律と組織力がある。
先人の築いた礎の上に、自らの足で立ち、新しい未来を切り開く時は今だ。
バスケットという、日本は世界で活躍できない、国民的スポーツにはならないと言われ続けたスポーツを愛した僕だからこそ、志を成し遂げ
「日本には、日本人には、愛するものと共に、愛するものの為に生きる人生を勝ち取る力がある」
そんなメッセージを次世代に遺し、この世界を去っていきたい。
2015年11月15日日曜日
大きな決断の行く先は
これまで、何度か大きな分岐点があった様に思う。
人生を左右する大きな決断。
その中には、望んでいた結果を伴わないものあった。それを失敗と呼ぶことにしよう。
今までは、なぜ失敗したのかを目を凝らして理由を探し、「2度と失敗しない様に」、そんなことを考えていた。
失敗にも、二つの失敗があるんじゃないかと、ふと思った。あの頃に戻れるとしたらきっと別の選択をしていただろうというという失敗。あの頃に戻れたとしても、きっと同じ選択をしていただろう思える失敗。
いままでは、前者の失敗ばかりを見ていたんだなって気がつく。
失敗してでも行きたい道があるということ。それほどにまで心を惹き付けるものの正体を、焦らず、じっくりと見つめてみたいと思った。
人生を左右する大きな決断。
その中には、望んでいた結果を伴わないものあった。それを失敗と呼ぶことにしよう。
今までは、なぜ失敗したのかを目を凝らして理由を探し、「2度と失敗しない様に」、そんなことを考えていた。
失敗にも、二つの失敗があるんじゃないかと、ふと思った。あの頃に戻れるとしたらきっと別の選択をしていただろうというという失敗。あの頃に戻れたとしても、きっと同じ選択をしていただろう思える失敗。
いままでは、前者の失敗ばかりを見ていたんだなって気がつく。
失敗してでも行きたい道があるということ。それほどにまで心を惹き付けるものの正体を、焦らず、じっくりと見つめてみたいと思った。
2015年11月8日日曜日
夜明け前
今まで、何度もどん底に叩きつけられたことはあったけど、もがきながらでも前にさえ進んでいれば、必ず活路は見えてくる。これは、生涯の信条となりそうだ。
今日は鬱陶しい雨だった。そんな日だったが久々に同期とバスケの試合に出た。ずっと連敗だったけど、最後の1試合だけはなんとか勝てた。
帰り道、雨が気づかないうちに止んでいた。
まだまだ思い通りにならないこともやってくるだろう。けれども、確実に夜明けは近づいている。そんな気がする。
2015年9月15日火曜日
100点以外はダメなときがある
大好きな語り口の河合隼雄先生の「こころの処方箋」の一節のタイトル。
100点以外はダメなときがある。
まさに、今はそんな節目を生きている、そんな気がする。
100点をとらねばならないときに、100点をとれなかったことがある、だからこそ、実感を持ってココロにこの言葉が入ってくるのだと思う。
もう亡くなってしまったが、河合隼雄先生の写真はとてもいい笑顔ばかり。きっと、たくさんの負けを知っていたからなんだろう。
これを乗り越えた先に、あんな笑顔の持ち主になれたらいいなってこころの底から思う。
2015年9月1日火曜日
9月1日
新しい社会人生活が始まって、5か月が経過しました。
心の中を整理してポエムるのも飽きてきたので、そろそろ、目の前の挑戦に集中することとします。
戦うのではなく、受け入れる緩やかさをもって。逃げるのではなく、手放す勇気をもって。おっと、これもポエミングだけど、今感じていることの備忘として。
これからは、もっと気づきを書いていこう。
2015年8月29日土曜日
河原町の京都BAL
なにが面白かったかというと、京都らしさを期待して行ったらクラシックな米国風の外観を始めとして、全く京都っぽくないのである。これにはハッと気付かされた。
京都の四条という好立地、素人だったら神社やらお城風の外観を作ったり、京都製品のテナントを入れまくったりと、「京都らしさ」が面白いと思う。
BALに対して観光客は、少しがっかりするかもしれない。けど、商業施設として冷静に「誰に売るか」を考えたら、すぐに気がつく。商業施設を使い続ける人、つまり、商圏にいる京都に住む人たちにとっての非日常、サプライズとは「京都らしくない」ことにあるからだ。丸の内の海外観光客向けの商業施設とは基本姿勢が大きく違う。
あらためて、誰にお金を落としてもらうのか、という感覚を強く持つことの大切さを痛感した。
もちろん、住む人にとっての異空間性やサプライズは重要な視点だけれど、業界として新しいものは、誰にとってもサプライズになりうる。そう思ったのが、空間の使い方。
商業施設としてはの床面積はさほど大きくもないのに、一つのテナントにかなり大きなスペースを賃貸し、デザインに対して高い自由度を与えていること。商品が陳列されていない空間がとても多いのである。「無駄なく、無駄がある」といったところか。
場所そのものを楽しむ、という点では自由が丘や、下北沢には小さくておしゃれな雑貨屋が多くて歩くだけでも好きだけれど、BALでは小さなスペースでは表現できない「あえて物を置かない空間を使うことで商品の魅力を引き出す」という洗練されたデザイン性を楽しむことができると思う。
テナント自身に出店後のレイアウトデザインの自由度、可変性を与えることで、ショッピングモールとしての販売促進を大きく打たなくても、変化を加えることのできる可能性があることも気付きの一つ。
10年、20年というスパンでこの商業施設がどう変化を繰り返していくのか、とても楽しみ。
2015年8月22日土曜日
愛と覚悟と
何かを一生愛し、共に生きるという覚悟。どんなにそれが強い決心であったとしても、変わってしまうことも、乗り越えられないこともある。
けれど、それは決してその人が弱かったり、間違っていたりするわけでもなく、誰だってどうしようもなかったこともある。逆に、弱い決意だったとしても、すっと何かが作用して、乗り越えられてしまうことだってある。
力んでも、怯えても、結果は分からないのなら、できるだけ自分がその瞬間に納得できるように、あの日の決断はあの時のベストだったと思えるように、そう生きていくしかないのかもしれないね。
2015年8月17日月曜日
チャンスはピンチ
けど、ピンチを招くこと自体、もうこの歳になったら二流なんだってこと。
世にある格言は一時の心の安らぎをくれるけど、真に受けてはいけない。成功の定義は人それぞれだし、成功なんて移ろいやすいものだから、一概に今誰が幸せかなんて言えないけれど、満員電車には下を向いた人間が溢れているのも事実なんだ。
あまりに切羽詰まって心が緊張しまくってもうまくはいかないだろうけど、甘えてる場合じゃねーんだよと。
結果だそう、結果を。
2015年8月12日水曜日
身勝手な優しさ
誰もが心の深くには、前向きな言葉だけでは塞ぐことのできない傷があって、誰かに優しくしたり、べき論をかざしたりするのは、その傷がまた開かないようにするためだったりするよね。
どこまで行ったって、人間なんて自分勝手な生き物なんだと思う。だけど、果たすことのできなかった想いを叶えるために、自分勝手にならないといけないのなら、思いっきりわがままになればいいんじゃないかって思う。
いいことも、わるいことも含めて、自分の想いや感情をありのままに受け入れてあげること、それを言葉にしてあげること。他人との絆も、きっとそこから始まるような気がしている。
引越し準備
けれど、結局それは部分的には思い違いで、物体としてのそれは何一つ消えはしなかった。けれど、部分的には当たっていて、目に見えない何かが、たくさん壊れていった。
壊れたものの中には大切にしていたモノも沢山あったけれど、自分自身の中にあった粗大ゴミに突っ込まなくちゃいけなかった何かも、そろそろ買い替え時になったようだ。
でも、しばらくはウィンドーショッピングだけでもいいかもしれない。買い替えてしまったら、そんな簡単には捨てられないから。もう少しだけ、リサイクルしてしのぎながら。
2015年8月9日日曜日
愛着の功罪
人は、愛し、愛される関係の中で心の礎を築いていく。
けれど、地中に深く突き刺さった関係性の杭は、自分自身を心ごと強くその場所へと打ち付け、がんじがらめにしてしまう。たとえそこから離れることが最善だったとしても。
大きな夢を追い続けるには、それを、振りきらなくてはいけない瞬間が、必ずくる。
夢を追うには強靭な心が必要だ。いや、それ以上に、非情でなくてはならないのかもしれない。
そうしたら、次世代を担う子供たちに「夢をもちなさい」なんて、軽々しく言えやしないんだ。
夢を叶えた人たちへ、夢に敗れた人たちへ、聞きいてみたい。夢を追ったその先に、あなたの本当に求めていたことがあったのか、代償よりも大きなものを得たのかって。
でも、回答がどうであったって、僕は夢を追い続けていたいんだろう。
2015年8月8日土曜日
夢と、愛と
そうでなければ、もっと、今を楽しめていはず、と。でも、その葛藤から逃げ出すことは、「普通」であることを敗北だとでも言うかのような、「自分らしさ」の放棄だと認めるかのような。
ゆらゆらと揺れて、時に大きな不安が訪れ、それもまた、自分への軸を無くしたままの他者との比較が原因だと再認識しては、心は冷静を取り戻す。
こうありたい自分。達成したい夢。
時代が求める人間像。自分を必要としてくれる人。
そして、なぜだかホントのところは深くは分からないけれど、自分を気にかけ、愛してくれるあの人。
いろんな残像が重なって、「頑張ろう!」、と、「もう投げ出したい。。。」が、ぐるぐるっと回って、前よりも少しはまともな気づきを手にして、まあ、明日もちょっとは進歩を感じられるんじゃないかと、少しこじつけたような感覚。
そんな、こんなで、でも、ぎりぎりトータルプラスなんだろなって、そう思いながら生きている、今日この頃。
2015年8月3日月曜日
ごまかせない想い
こういうときに限って「忙しい」とか「自分で精一杯」とか、そういう時期だったりする。
本当の意味で救えるかどうかも分からないのに。自分の傷が大きくなるだけかもしれないのに。
それでも、体が勝手に動こうとするのは、自分こそそうやって助けられてきたから体に刻み込まれているのであり、またそれこそが、人間の本能の一部ということなのだろう。
アホだなぁ、と思いつつも、少しだけ頭の中のお利口さんを黙らせて、感情に従ってみようか。
2015年7月26日日曜日
人がつくったもの
でも、それは「手作り」であることがタグづけされていることではない。手作りであることが感じられること。
「ここになんで、これつけちゃた?」「ここの部分、なんでニョキってしてる?」
特別な想いがあったかもしれない。べつに、気まぐれかもしれない。でも、生産性をある意味度外視した画一的じゃないその「手作り」感に、いろいろ想像できることが面白いと思う。
もっと、そんなことが感じられる場所に住みたい。もっとそんなことを大切にできる街をつくりたい。
表参道の裏路地は、そんな手作りにあふれているような、いや、手作り感をブランディングとして商売のテコとしているだけのような、そんなことを思っていたら、ビールが空いてしまいそうである。
2015年7月22日水曜日
走る
走る、走り続ける。
走る時。いままでは、過去の自分に追いつかれないように走っていた。目指すべき自分を追い越せるように走っていた。
けれど、いまは、少し違う。
過去の自分も引き連れて、一緒に走っていく。少しずつ自分に到着する自分を、踏みしめながら走っていく。
今を、駆け抜けていく。
2015年3月24日火曜日
おっさん穴
遠ざかれ。自分のおっさん穴から。
自分が愛するものは、ただ、そこにある。決して、居なくなったりはしない。自分を笑いもしない。自分を憎みもしない。そして、愛しもしない。
ただ、そこにあるだけ。在り処を忘れなければ、いつだって、戻ってこられるから。
自分が愛するものは、ただ、そこにある。決して、居なくなったりはしない。自分を笑いもしない。自分を憎みもしない。そして、愛しもしない。
ただ、そこにあるだけ。在り処を忘れなければ、いつだって、戻ってこられるから。
2015年3月11日水曜日
2015年3月9日月曜日
創造的人生の持ち時間
「風立ちぬ」から
”創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい”
宮崎駿が最後に創ったこの作品。今までの彼の名作映画からしたら、少し首を傾げたくなるような配役や描写、えっ、これだけ?という様なシーンもあるこの映画。最後の最後に聴衆を気にせず、宮崎駿が本当に創りたいものを創った、ということな気がしてならない。
このカプローニの台詞に、世界のアニメ映画を先導した宮崎駿の強い想いがこめられている気がした。
人間が物事に死力を尽くせるのは長くても10年、そして10年やって結果が出なければ、もう何年やっても結果が出ることは無い。なんだか、納得できる気がしてしまった。
バスケ業界を変えるんだと思った20歳の頃から10年、創造的人生は終わってしまったのか。はたまた、今までは準備期間で、バスケ業界に身を置いた1ヶ月のみが創造的人生の消費時間だったのか。
きっと、もっともっと先に創造的人生が待っていると信じて、今は力を蓄えることにしよう。風が吹く、その日を信じて。
”創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい”
宮崎駿が最後に創ったこの作品。今までの彼の名作映画からしたら、少し首を傾げたくなるような配役や描写、えっ、これだけ?という様なシーンもあるこの映画。最後の最後に聴衆を気にせず、宮崎駿が本当に創りたいものを創った、ということな気がしてならない。
このカプローニの台詞に、世界のアニメ映画を先導した宮崎駿の強い想いがこめられている気がした。
人間が物事に死力を尽くせるのは長くても10年、そして10年やって結果が出なければ、もう何年やっても結果が出ることは無い。なんだか、納得できる気がしてしまった。
バスケ業界を変えるんだと思った20歳の頃から10年、創造的人生は終わってしまったのか。はたまた、今までは準備期間で、バスケ業界に身を置いた1ヶ月のみが創造的人生の消費時間だったのか。
きっと、もっともっと先に創造的人生が待っていると信じて、今は力を蓄えることにしよう。風が吹く、その日を信じて。
2015年3月8日日曜日
憎悪の渦
今話題のアメリカンスナイパーを観ました。永遠の0も遅ればせながら、つい最近鑑賞。
感想は、、、
どんな強い意志と、まっすぐな信念があったとしても、大きな憎悪の中に飛び込めば誰もがその一部になってしまうということ。
それは誰が良いとか、誰が悪いとかではなく、報復はあらたな憎しみを生み、大きな憎悪は全体を間違った方向へと導いてしまう。
じゃあ、どうやったら憎しみの連鎖を断つこととができるのか。。。それは、外から人間が飛び込んでできることではなく、「意図せずに不条理に巻き込まれたけれども報復をしない選択をするリーダー(長い笑)」が対立軸のどちらかに現れるかどうか、のような気がする。要するに、争いを治めるための最善の解決策は、当事者の間に善なる心が芽生えるのをひたすら待ち続けること、そんな気がする。
だったら、目の前で不条理が繰り広げられ、怒りがこみ上げてきたらどうすればいいのか。
それは、怒りに燃える他の誰かを、笑顔で穏やかにすること。なんとも小学生の作文の様な答えだけど、本当にそれくらいしかできないし、それ以上のこともできないと思う。
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戦争とは比にならないけれど、自分もついこの間、憎悪の渦中に自ら飛び込んで、自分が憎しみの一部に染まり、怒りに支配された瞬間があった。
決して、自らその憎しみの渦中に飛び込んではならない。大切なものを全て失う覚悟がないのならば。そして、、、大切なものを全て失ってまで勝ち得るものなど、何もないのだと思うのだ。
自分の愛するものが憎悪に飲み込まれそうなとき、何が本当に正しいのかを見極めることの大切さ。ドラマやヒーローアニメで刷り込まれた、分かりやすく「正義」っぽい行動に、心が酔ってしまわないように、本当に大切なものを守るためにも。
そんなことを思った。
2015年2月24日火曜日
悠々と
季節の変わり目に、ランダムに音楽をかけてみる。なんども聞いたはずの曲なのに、今になって意味がわかったり、共感できなくなってたり、あの頃を鮮明に思い出したり。
ぐるぐると繰り返しているようで、一つとして同じものはなく、ちょっとした変化に嬉しくなり、寂しくなったり、大切な人を想って恋しくなったりする。
そんな、ささやかな変化と、細やかな心の動きがなんとも心地よくて、自分の時間が悠々と流れていているのを感じる。
たくさん刺激を追い求めてきて、たくさん挑戦をしてきて、自分のために戦って、誰かのためにボロボロになって、苦しんで、喜んで、大きな変化を受け入れて。あの時も確かに幸せも生きがいも感じていたはずなのに、結局は自分が最後に求めているものは、この場所なんだと思う。
答えを分かっていながら、また、本当の答えがそこにないはずの大きな挑戦へと心が自然と戻っていこうとするのは、まだ自分には大切な人の心を悠々とさせ、守り抜くほどの力がないことを本能的に感じ取っているからなんだろう。
もう、振り返らずに、新たな場所へと進もう。今度は一人じゃなく、またいつか、大切な人とこの場所に戻って来るために。
2015年2月21日土曜日
目標
目標をたてる年があったりなかったり。極度に切羽詰まっているときは、blogの更新が途絶えます(汗)
もう、1年の目標を!というには随分時間がたってしまったけれど、今年のテーマを備忘録として。
「緩めること」「のんびりと待つこと」そして、「笑う」こと。
いつの日かテーマとした「笑顔」ではなく、「笑う」それが、今の自分にはとても大事な気がする。
今年はなんだか、自然に自分が変わっていく、とてもいい1年になる予感がする。
もう、1年の目標を!というには随分時間がたってしまったけれど、今年のテーマを備忘録として。
「緩めること」「のんびりと待つこと」そして、「笑う」こと。
いつの日かテーマとした「笑顔」ではなく、「笑う」それが、今の自分にはとても大事な気がする。
今年はなんだか、自然に自分が変わっていく、とてもいい1年になる予感がする。
コンタクトレンズ
ずっと目がゴロゴロしていて、ある時、突然コンタクトレンズの破片がポロっと落ちてきた。
うまくいかなったり、違和感を感じるものが、ふとした瞬間で本人には何だったのか分からないきっかけで、すっと解決していく。
なぜうまくいかなくなったのか本質が見えないときにできることは、ただ待つことだけなのかもしれないね。
各駅停車
ふと、今日は一般道で、行ってみる。
ハイウェイでは景色でしかなかった窓から見える眺めが、下の道を通ると生活になる。
ゆっくりと進むことでしか見えないものがあるならば、立ち止まることでしか感じることのできない何気ない生きる温もりが、ある。
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友達んちに遊びに来たら、ふとした瞬間に友達が昼寝を始め、自分もつられて昼寝をはじめ、自分は目を覚ましても、まだ友達は寝てる。まあ、こういうのもいいか、と。
何もしなくても、なんだか面白いこの不思議な状況を、なんだかニヤニヤしながら楽しんでおります。
2015年2月15日日曜日
敗北を受け入れること
ブログでの正式な報告をしていませんでしたが、2014年11月に6年半勤めた三菱商事に辞表を提出、つくばロボッツに飛び込みましたが、チームの経営方針と折り合いがつかず、正式な雇用契約を巻く前に採用を辞退しました。
正直、悔しい想いでいっぱいです。
ファンにも、選手にも、少しだけ一緒に働いたスタッフにも、必ずロボッツを日本一に導きますと大口を叩いて飛び込みました。
けれど、結局何もできなかった。単に自分のチカラ不足でした。
でも、今はもう、この悔しさのエネルギーの矛先は、完全に自己の成長へと向いています。
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たくさん、たくさん、前の会社では得ることのできな経験をしました。たくさんの出会いがありました。
三菱商事という日本では有名な企業で働ける誇りは、いつの間にか捨て去ることの難しい歪なプライドとなって、どこか自分の本当の気持ちを閉じ込める重しとなってしまっていました。
けれど、それを一旦捨て去ってみて、三菱商事で働いた日々や、私を育てて下さった素晴らしい方々との出会いが、どれほど自分の人生を彩らせてくれたものだったか、そしてそれが今も自分の中で輝き続けているか、それを素直に誇ることができるようになりました。
そして、自分の好きなコト、好きな場所、好きなヒトに真っ直ぐと向き合うことがこんなにも清々しいことだと気がつけたのは、何より大きな収穫だったと思います。
だけど、結果は色々な人に迷惑をかけたし、心配もさせてしまった。大切なヒトをがっかりさせてしまった。何も期待に応えられなかった。
悔しい、悔しい、悔しい!
この悔しさ、この結果はすべて受け入れて、心に刻みつけておこうと思います。
二度とこんな悔しい思いをしないよう、手の届く範囲をしっかりと見極め、ひとつひとつの目の前のチャレンジに、ひとつひとつの目の前の出会いに、逃げることなく真正面から向き合っていきます。
バスケに限らず、嬉しいことも苦しいことも色々なことがいっぺんにありすぎたので、今はバスケをプレーすることを中心に、のんびりと「今」楽しむことに集中していますが、少しずつ動き始めています。
進路も固まりつつあるので、進路が確定次第、この場でご報告しますね。
今後とも、どうぞ応援よろしくお願いします!
2015年1月1日木曜日
努力の量は問題ではない。やりぬく資質があるかどうかだ。
あけましておめでとうございます。
日本のバスケ界に色々あった、2014年。日本のバスケ界に色々あるだろう、2015年。
この一年を踏み出すにあって、思うことを少し。
今、バスケ界に起きていることは、日本の全てのバスケファンの選択の集積の結果なのだと思う。我々、日本でバスケに携わった人間全てが招いてきた事態なんだ。始めっからわかりきっていた問題を、誰も解決するチカラがなかった。だれも、責任あるポジションにリスクをとって飛び込むこともしなかった。だから、誰のせいでもない。むしろ、全員のせいなんだ。
この状況で誰かを非難することは、巡り巡って自らの非力さ証明することに等しい。天災以外に神の悪戯など、存在はしないのだから。
一人一人の「行動」によって、この状況を打開するしかないんです。
バスケ界のこの惨状を誰かのせいにして生きていったら、僕は、一生自分を責めるだろう。だから、自分の魂をささげて日本のバスケ界の問題に向き合っていくこと、その覚悟ができました。
僕の燃え盛る情熱によって、少しでも、このバスケ界の暗闇を照らせるように。次世代の子供たちが、明るい未来を信じられるように。
"It's not how hard you push along the way, it's having something in you to finish."
努力の量は問題ではない。やりぬく資質があるかどうかだ。
マイケルジョーダンのこの言葉を胸に、激動になるであろうこの一年を、僕は駆け抜けていきます。
本年も、どうぞ宜しくお願いします!
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