2016年12月31日土曜日

2016.12.31 創造的人生



「風立ちぬ」で宮崎駿は創造的人生の持ち時間は10年だと言った。

2017年。間違いなく創造的人生の持ち時間を使う1年になる。

1日1日を大切にしよう。

決して、誰かのお仕着せの正しさに惑わされることなく、本当に大切だと思うことを一つ一つ結果として残していこう。

2016年12月30日金曜日

前提

なんでこうも、目を疑うほどのトラブルが連続で起きるのだろうと萎えそうな気持ちを必死に奮い立たせているときに思うのは。

問題だらけの環境を解決するために飛び込むことを選んだのは自分。だれも解決できなかったからこんな状況になってるのであって、解決しようとした先人にはものすごく優秀な人もいただろう。

だったら、目を疑うほどのトラブルばかりが発生するのは当たり前なんだ。そのトラブルを前にして、全ての人が結局は諦めたから現状はこうなっている。

そうしたら、腹くくるしかないのね。解決するまでやり続けるって。

2016年12月26日月曜日

スパイラル

大丈夫、いまの自分ならあの時と同じような困難が来たとしても乗り越えられる。

そうやって成長を感じた矢先に来るのは、もっと大きなチャレンジだったりする。

きっと、そうやって繰り返す悩みや戸惑いは、ずっと消えることはないのだろう。

少なくとも、20歳の頃に思い描いていた10年後の理想の自分をとっくに追い越していること、それだけは大きな違いかもしれないし、少し自分を褒めてあげても良いような気がする。

2016年12月22日木曜日

距離感

大きく圧倒すれば追いつけないと思われ、少しの差なら小賢しいと思われる。中間的な距離を演出するなんて器用なことが続くはずはない。

人は、変えられない。機会を転がしたって、背中を見せたって、その本質を揺るがすことはできない。

何かに助けられて生きていくのなら、1人でも通じ合える人がいれば大満足で、総じてだましだましやっていくしか結局はないのだろう。

2016年12月19日月曜日

ロングスパン

僕らの未来はまだまだ長い。

後戻りしたようにみえて、もしかしたら大きく景色を捉える一つのプロセスなのかもしれない。

2016年11月30日水曜日

楽観主義

マイケルジョーダンやスティーブ・ジョブズの「今日が最後だと思って生きる」的な格言が流行った時期もあった。

でも、今の時代は「明日もきっと楽しいと思って生きる」方がしっくりくる気がする。

2016年11月28日月曜日

前進

短期間だけど、ようやっと仕事でニューヨークに出張へ。

少しずつ、思い描いていた理想の働き方、そして理想の生き方に、着実に近づいている気がする。

2016年11月9日水曜日

汚い言葉を使うトランプの当確を、ヒラリー派の人間が汚い言葉を使って非難する。

この総体こそがアメリカの品格の無さであり、実力であるということだと思う。

トランプが起こす変化をチャンスと捉えるかどうかは自分次第。トランプを本気で批判して選挙で負けたのなら、それは自分の実力や影響力の足りなさを無をただ鏡に映しているだけではないか。

自分の強い思い込みが思い通りにならなかったといって、世界が終わったような発言をする人間を僕は大嫌いだ。終わらせるのはあなたの世界だけにしてくれないだろうか。

2016年11月5日土曜日

進む

毎日、少しずつだけれど確実に夢に、理想としている生き方に、近づいていることを感じる。

空気の変化と自分の呼吸を感じながら、このまま大きな流れと自分の直感に身を委ねていこう。

2016年11月1日火曜日

ゼロイチ

構想する。実弾を取りに行く。

この両方ができる人って、本当に希少なんだなって思う。

2016年10月12日水曜日

均衡

良いことも、悪いことも、必ずバランスが取れる様にできている。

思わぬ苦労を浴びないために、できること。

それは苦労を買って出てその先にある果実を泥臭く取りに行くことなのだろう。

苦労が消えて無くなることはない。でも、自分で労苦を惜しまず動き続ける限り、求める喜びもまた絶えることはない、そんな気がする。

2016年10月3日月曜日

満塁

満塁の打席は自分の力だけではやってこない。

今が自分の夢を叶えるための満塁打席。そして、この瞬間のために積み上げてきた自信もある。

だから、自分の直感を信じよう。きっとどんな結果になったって後悔はしない。

思いっきり振るもよし。四球押し出しを狙って後続に託すもよし。

答えは自分の中にしかないと思うから。

2016年9月29日木曜日

卒業

明日、自分のほとんどの時間を懸けてきた仕事が完成を迎える。

最初は意味がある仕事かどうかも実感を持てなかったけれど、10年も時を重ねると他人事とは思えないほどに愛着が湧くんだなぁって。

「時間」が作る不思議なものがある。


理屈で解きあかせないその現象に、その先の時間の行く先に身を委ねることも、きっと悪くはないものだって、そんな風に思う。

会計の仕事を完全に卒業!今までの巡り合いと支えてくれた全ての人たちに。本当にありがとう!!


2016年9月23日金曜日

2016年9月17日土曜日

大切なこと

B leagueが始まる。

沢山の芸能人の露出、今までだったら考えられないくらいの地上波の放送。沸き立つバスケ界。

でも、、、

男子テニスだって、錦織選手が世界で活躍するまではメディアは見向きもしなかった。それが、選手の台頭によってすべてが変わった。

本質はここにあると思う。

派手なプロモーションで継続的に関心を持つほど、日本人の感性や文化的成熟度は低くない。

実質的な感動価値に見合っていない華美なプロモーションが続くはずがない。ここまでやって経済界に見切られたら、本当に業界の暗黒時代が到来する。

だから、これをきっかけに選手が目覚めてほしい。現実と理想のギャップを。今の努力量と熱量では永遠にバスケが日本でメジャーになんてならないということに。

でもでも、、、

ここで批評家になってはいけない。やるんだ、バスケがバブルが弾けずに本当の実力なるように、できることを自分で。

2016年9月9日金曜日

飛躍

一番成長したと思うときっていつですか?そう聞かれて少し戸惑った。

もう一度答えられるなら、ベストを尽くしたのに大失敗したとき、かな。

2016年8月17日水曜日

精神力

気合いと精神力は違うと思う。

例えば、気合いは、倒れそうになって前に足を出し続けること。精神力は、走り続けるために合理的な呼吸方法を維持し続けること。

考えすぎな時に思考をシンプルにした方がよいこともあるけれど、圧倒的な能力差がある時に気合いでは勝てない。

思考を鋭敏に、安定的に保つこと。それが持つ可能性の広がりは計り知れないと感じる。

2016年8月15日月曜日

落陽

日が落ちるのが随分早くなってきた気がする。

太陽の光を最高に楽しんだ夏。これからは夜の静けさも楽しんでいきたいな。

2016年8月1日月曜日

自己ベスト

怪我して入院してたり、慣れない仕事で気持ちがフラフラになったり、海外行ったばっかりで心が許せる友達があんまりいなかったり。なんか、夏は大変なことが多かったけど。


今年の夏は、いままででいちばん楽しい。


もし、憂鬱な時間を過ごす仲間がいたならその憂鬱さも吹きとばせるような、残りの夏はそんな陽気な時間にしていきたいな。

2016年7月20日水曜日

懸命

いつの間にか、あの頃の自分はとっくに追い越していたんだって気がつく。

追いかけると逃げる。越えようとするとそびえ立つ。

なんだか最近、とにかく無我夢中だった気がする。

2016年7月14日木曜日

旅立ち


この一年、誇るべき遺産を残してくれた数多くの先輩達が第一線を退いた。

ある人は運が良かったといい、ある人は巡り合った人の支えといい、多くの成功者がまるで自分の努力の結果ではなかったかのように最後の言葉を遺した。

ある意味でそれは真実で、ある意味でそれは過度な謙遜かもしれない。

その真意は分からない。

けれど、自分の人生の大きな役割を終えたと思えるその日に、自分が成し遂げたと思えるほとんどが自分のそばにいてくれた人たちの支えによるものだと心の底から思えるような生涯をすごせたら、どんなに素晴らしいだろう。

そんな風に思った。

2016年7月12日火曜日

回帰

大学四年生の春、膝の手術しなければもう本気でバスケをすることはできない、完治には一年かかると医者に告げられた時、プレーヤーとしてのバスケの時間はもう終わってしまったと思っていた。


決してあの時に戻ることを追い求めたわけではないのに、ふとした拍子であの時よりもっと大きな愛情と一緒にプレーヤーとしての時間が戻ってきた。

いま、大好きなバスケができることが、ただただ嬉しい。

大切にしなきゃ。

2016年7月9日土曜日

自然体


何かを受け入れること。何かを許すこと。それが自分の心を傷つけるものであっても愛すること。どうやったらできるだろうってずっと考えていた。

やっぱり人間はそんな聖人君子になれはしない。

けれど、自分の人生を愛すること。それに目を向けたなら、どんな哀しみも怒りも、きっと穏やかな時間の喜びを実感するためのスパイスなんだって、もう少し自然に受け入れられる気がした。

2016年6月24日金曜日

梃子

大きければ大きいほど、支点と重心が少しでもずれればその制御を失う。

もし、支点と重心の置き場所の問題なのではなく、大きすぎることが問題だとしたら?

ヒトはもう少し謙虚に、人間が管理や統制できることの限界に真摯に向き合った方が良いのではないかと思う。

僕はもう、身の回りのひとを支えるだけで精一杯だ。

2016年6月23日木曜日

歓喜

数多くの批判を乗り越えて歓喜の瞬間を迎えた彼は床につっぷして"Oh My God"と叫んだ。


大きな決断の真意は本人以外誰にも分からない。そして、その結果辿り着く未来は誰にも分からない。

2016年6月22日水曜日

生きる力

経営の本質をずっと考えている。

いまの答えは「会社とともに歩むことを選んだ人たちに、その将来に会社が一番近くに居なかったとしても逞しく生きていく力を手に入れるための手解きをする」こと。

時とともにその考えは変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

2016年6月20日月曜日

しゃぼん玉

街中にしゃぼん玉が舞う。

遠くまで飛ぶしゃぼん玉。高く飛ぶしゃぼん玉。

けれど、ほとんどのしゃぼん液は、玉になることもなく、バケツに戻っていく。

1つの夢が弾けて、1つの夢が叶った。


予想していたしゃぼん玉と違ったけれど、その意外さに心が揺さぶられることもある。

今日はもう店じまいです。

2016年6月19日日曜日

この限りある人生の中で、どれほど多くのことを愛せるだろうか。

どれほど強くなれるか自分の限界を試すこと、そんなことはどうでもいい。けれど、世界の反対側で起きた悲しみに心を寄せ、何かの想いを伝えるための破壊活動まで全てに何かの意思があって、何かを守るための心の叫びだということを気がつけるヒトで自分が居られたら。

たとえ、それが自分や大切な人を一時的に傷つけるものであったとしても、その背景にあるものに心を寄せることができる、そんなヒトでありたい。

2016年6月18日土曜日

傷口

世界が傷ついて自信を失っている。

本当の悪なんて存在しないはずなのに、何かのかけ違いが善と悪という認識を生む。

ほんとうの解決の糸口がどこにあるのか、あと少しで見つかりそうで、でも捕まえられずにいる。

誰かを傷つけてしまう前に、もう少し探し続けてみる。かけ違いの正体が一体なんなのか。

2016年6月15日水曜日

決して消えゆくことのないもの

今まで、たくさんの組織の勃興に関わってきた。

自分が作った組織。誰かの想いに共感して加勢した組織。

多分10以上の組織があった。

けれど、僕の中で力強く生き残っていると認識している組織はたった1つしかない。

組織の存在目的は色々ある。株式会社のような経済的なものから、NPOのような社会的なものまで、色々な組織に関わってきた。

けれどその十数のなかで生き残った組織は、その仲間のためならば自分が傷つくことも、自分の命を捧げることも厭わないほどに、仲間の一人一人を愛おしく思った組織だった様に思う。

どんな経営学の本にも載っていない本当に素晴らしい組織を育てていくことの本質が、そんなところにある様な気がしてならない。

果たされなかった想い

人は想いを胸に、一生を懸けて大舞台へとあがる。

ある人は身近な人を守るため。ある人は腐敗への怒りから。

その舞台にあがるまでの想像を絶する努力や犠牲は、きっとまっすぐな信念に支えられて果たされてきたのだろう。

いくら本人の責とはいえ、全体性でその本質を語られることなく、時のリーダーが公で処刑され、袋叩きにされて一生の無念を抱えたまま表舞台を退場させられていく。


直接恩恵や被害を被った以外の人間の声の集合が真実となり歴史となり、物事を大きく色付けてしまう。


本当のことは、誰にもわからない。


けれど、結果はどうあれ人生を賭して闘ってきた人が、生涯の汚名とともに消えていくこと。

その人の心の有り様に想いを馳せると、胸が苦しい。


2016年6月9日木曜日

何かを愛するということ

何かを深く愛するということは、どんなに傷ついたって、その全てを受け入れることなのかもしれない。

きっと、その想いを口にださなければ傷つくことも少ないだろう。けれど、良い関係を築いていくためには伝えなくてはならない時がある。



愛するということ、それはヒトだけじゃない。モノかもしれない。技術や組織というカタチのないものかもしれないし、崇高な思想かもしれない。

もし、傷つくことが耐えられないのなら、それは本当の愛ではなかったということ。

何も力む必要なんてないんだ。

きっと、自分にさえ本当に愛しているものが何かなんてはっきりとなんか分からなくって、時間とともに確かなものになっていくものだと思うから。


誇り

日本は平和ボケしている。

あたかもそれが問題であるかのような記事が少し事件が起こるたびに世に出回る。

みなさん、本当にそう思いますか?

傍に大切な人がいて、誰かに心を預けて毎日を過ごせる日々ほど素晴らしいものはないだろう。

ここ、沖縄は、世界大戦で日本から侵略を受け、また日本の一部となった後も日本侵略の中心地となった。



琉球国は平和すぎた。武力で統治する必要が無かったから。それは国家として悪いことなのか。

いや、僕は素晴らしい国だと思う。

琉球国は無くなってしまったけれど、形を変え、祖国の記憶を守ろうとする人たちの飽くなき努力によって時代とともに変化し、今も琉球は存在している気がする。

その過程には、想像するだけで胸が詰まるほどの無念と涙、犠牲があっただろう。

もし、日本に世界大戦以上の危機が訪れた時、日本が国家としての法的形態を失おうとも徹底的に破壊されることを避け、日本人の本質を守ることができるのか。

本当の誇りとは、そういうものだと思う。


2016年6月8日水曜日

直球勝負

真っ直ぐすぎると、苦しいことはたくさんある。

でも、僕にはそれ以上にたくさん嬉しいことがあった。

泣いたり、笑ったり、心が激しくアップダウンしてクタクタに疲れるんだけど、この楽しさを知ってしまったから自分を曲げて生きることは、もうできない。


真っ直ぐに生きていくんだ。


曇り模様だった天気予報とは裏腹に、千切雲と青空が美しく混じり合う。

心地よい1日が、名残惜しさとともに暮れていく。



2016年6月7日火曜日

叫び

この数年、本当に色々なことがあった。

「裏切り」

きっと、大なり小なり多くの人が経験していることだと思う。

裏切りは信頼の裏返し。深い信頼なきところに破壊的な裏切りは起こりえない。

きっと、僕の信頼していたその人は、その時には僕には理解できなかった救いを求める悲痛な叫びを僕にぶつけていたのだろう。きっと受け止めてくれると信じて。


もっと大きな絆を築くきっかけを、自分のそのときの器の大きさでは受け止めきれなかった。

きっと、僕は僕の気がつかないところで大なり小なり人を裏切っている。

誰が良いも悪いもない。たとえそれが裏切りと解釈されようと、その時は自分の行動が全てにとっての最善であると信じているのだから。

けれど、もう少し信じてみようと、もう少し信じて欲しいと、何度裏切られたと感じたとしても自然に心が動き出す懲りない人間の性は、みずみずしい人生を生きるためには、そんなに悪くないものだとも思うのだ。

きらきら、ゆらゆら

あの時に戻れるなら。そう考えたらキリがないよね。だけど、本気で悩んで、悩んで、踏み出した一歩なら、これで良かったと思える日がきっとくる。

そう確信はしているんだけど、たまにふっと頭をよぎる。



ちょっとナルシストっぽくてドライそうな小田和正。そんな印象とは裏腹に力強くも人の戸惑いを晴らせていくような歌詞。どうやったら、あんな優しい歌を歌えるようになるのだろう。

鼓舞

歌ってすごいね。勇気をもらえる。


2016年5月30日月曜日

誰も勝つことのない闘い

諍いは、始まった時点で両者ともに負の禍根が遺ることが確定している。

戦争から学ぶべきこと、それは戦争を回避することに死力を尽くす大切さだと思う。

もし、衝突の煙幕を察知したのなら、そこからできるだけ遠ざかること。もし、闘わざるを得ない状況に陥ってしまったのなら、大切な人を守るためだけに闘うこと。大切な人が傷つかないのなら、決して深追いしないこと。

そして、戦争が回避できたなら、啀み合いの原因を冷静に見つめ原因に真摯に向き合うことへ歩みを進めること。


とても勇気のいることだけれど、自分が守ろうとしているものが何だったのか、少し深呼吸すればそこにすれ違いがあっただけのはずだということにきっと気がつくはずなのだ。

2016年5月26日木曜日

喜び

自分の笑顔を願ってくれる人が居る。自分の幸せの為に闘ってくれる人が居る。

その事実を超えるほどの福音なんてありやしないだろう。

商い

ビジネスの基本は「安く買って高く売る」ことではない。

付加価値を創出すること。

その原理さえ踏み外すことが無ければ、市況の変動に踊らされることなく商いは続いていく。

家出

かけられた気持ちが重すぎると、例えそれが心の底からの愛情だったとしても鬱陶しくて飛び出したくなる時がある。

それが一時的に人と人の間に亀裂を生もうとも、その時の愛情に嘘偽りが無ければきっといつか帰ってくる。

だから思い切って手放し、また思い切って飛び出してみる。

そうして初めてわかることが、きっと、ある。

2016年5月24日火曜日

なんとなく


中国人観光客が増えてきた気がする。

む、行儀悪いなぁー、ってイラッとすることあるけど、観光行きまくってる日本人も現地の人から見たらそんなもんだろうし、そもそも観光立国を目指してるのは日本なんだから、これくらいは受け入れなくちゃいけないことなんだろうなって。

もう少し見方を変えたら、観光に行きたくなるようなユニークで素敵な国に、少しずつ変わってきたってことなのかな。

面白がる人を傍観者として半笑するより、興味を持ってくれてる人をせっかくだから楽しませちゃえ、そういう懐の奥深さを持ってる方がなんかカッコいいかなって思ったりした午後半休の午後。

あー、今日も辛子高菜を入れまくる。

2016年5月21日土曜日

人が成長するとき



人間が一番成長するとき。

それは、無償の愛を注いでくれる誰かが身近にいる時だと思う。

無償の愛を受けた人間は、然るべきタイミングにまた、誰かに無償の愛を注ぐ。

そうやって、社会は進化していく。

リーダーにとって一番大切なこと

どれだけ時間がかかっても。どれだけの困難を仲間に強いることになっても。どれたけ自分がボロボロになっても。どれだけそのプロセスで色々な人に迷惑をかけようとも。

そのチームが目指す勝利をもたらすことができるかどうか。



最後には絶対に「勝つ」こと。リーダーの存在意義はそれが全てだと思う。

2016年5月18日水曜日

性善説と性悪説

エンロンの事件を発端に過度に注目を浴びた内部統制の論理は性悪説に基づいているが、諸事の根源は従業員にはない。

大きな組織になればなるほど、個々の従業員の悪徳が発動したところで影響は軽微なものでしかないのだ。

悪事を事前に察知して見破り、さらにそれを更生できるような高い職業観を持った人間を監査部や内部統制担当に置いている会社が日本にいったいどれだけあるというのだろう?

性悪説をもって観察されるべきは、巨大な権力と資産をもった人間であり、それは資本主義社会においては経営者であり集団としての筆頭株主であることを、今我々は改めて認識すべきだ。

継承

「株主のために企業価値を最大化します」

そんなのは詭弁だ。そういう詭弁を好む会社の株主の構成を見てみるといい。個人株主の中に役員以外の従業員も含めどれだけ自社株の保有者が入っているか、企業は公開すべきだ。結局、株価を釣り上げることによって得をするのはどうせその会社の人間なのだろう。

株式会社の本質は株主にはない。東インド会社の設立経緯までさかのぼってみるといい。

企業が存在する唯一の目的は社会にとって価値ある事業を作ること。それに伴って良質な雇用環境を創出し善良な市民の生活を守ること、それが本質だったはずだし、それ以外にはあり得ない。

計画性のある事業の先行投資の資金調達のために、起業家は財務余力のある資産家に出資を募る。金額が大きいと一人では負担しきれないから複数人に投資をお願いする。経営者が明らかな遂行能力不足だった場合に出資の損失拡大を未然に防ぐために経営者を交代させる権利を出資者は当然として持つし、原則は金額が大きい順に大きな権限を持つ。事業が成功したら、応分のお礼を最低限として金銭でお返しをする。

投資家はその経営者が生み出そうとしている価値への共感と経営者への信任によってお金を出し、また経営者は雇用も含めた社会的価値の創出のために死力を尽くす。価値ある事業は必ず関与者に適切に利益をもたらすし、必然的に一定の拡大再生産と余剰資金が生まれる。

今改めて日本の偉大な経営者たちが人生を賭して夢見ていた社会の実現がどんなものだったのかを探究し、我々がそのバトンを受け取る時だと強く感じる。

2016年5月17日火曜日

旋回

風が吹くと風車が回る。プロペラを回すと空気が動く。

晴空や暗雲を何かの予兆と捉えるのは決して根拠がないわけではない。

晴空の日には、きっと人の気持ちは晴れやかになり、大好きな人への告白を後押しするだろう。

雨空の日には、きっと人の気持ちは憂鬱になり、満員電車の中の睨み合いは増えるだろう。


晴れやかな気持ちが晴空をつくるのか、晴空が人の気持ちを晴れやかにするのか、どっちが先かはわからない。けれど、自分の身の回りに起きる環境の変化を、未来を予測するための情報として敏感に感知することは決して無駄なことではないと思うのだ。

2016年5月16日月曜日

時を重ねること

何かを深く愛する気持ちは、きっと、供に過ごす時間を重ねることによって、気がついたらそこに有るものなんじゃないかって思う。


2016年5月12日木曜日

有限の美しさ

限りがあるからこそ、ヒトは分け合う。終わりがあるからこそ、ヒトは今を懸命に生きる。

海に囲まれ、限られた土地と資源を与えられた私たちは、幾度となる武力衝突の歴史も乗り越えて長い平和を築いてきた。仕組みが劇的に変わることもあった。尊い命が犠牲になったこともあった。

けれど、限られたもの分け合い、与えられたものを仲間とともに最大限に楽しむという私たち日本人の強い軸は、世界のどこにもないものだと思う。

世界の果てまで足を延ばすこと、国家の生産力を果てなく追求すること。それが正しいという固定概念を改めて疑ってみれば、大きな幸福の種は既に私たちの手の中にあることにきっと気がつくはずだと思うのだ。大きくしなくたって、遠くに行かなくたっていいじゃないか。永く身近なものを大切にする喜びに勝るものが、世界の果てや巨大なイノベーションの先になんか有りやしないよ。



今その手のひらを開いてそっと種を蒔き、優しい声をかけながら毎日水をあげよう。日々起こる変化に一喜一憂してみよう。そうすれば、どんな花が咲こうとも、我が子のように愛おしい一生の宝物になるはずだから。

2016年5月11日水曜日

戦い抜く資質

誰もが見ている。一人になってでも強い気持ちで戦い続ける人。風を読むことに長け、勝てそうな組織に身を移し続ける人。

一人になっても戦い続けて、その結果独りよがりになってはいけないけれど。。。

一人になっても、なんとしてでも生き残り、いつか輝く勝利を掴みとるために戦って戦って戦って勝てる方法を必死になって探し続けて。いつかその背中に共感してくれて共に戦ってくれた仲間と笑いあえる日が来る。

そんな生き方が最高にかっこいいな、って思う。

数の強さ

トランプのやり方は本当に巧妙だ。そして、必要な変化を必要なタイミングで状況を見て変えている。

アメリカという国を変えるためには、先ず、選挙で当選して大統領になるという関門を突破せねばならない。選挙は完全に全国民の有権者一票。

トランプがやっていることは、どの人口マップのターゲットを狙うのが量を勝ち得るのに一番効果的かを考え、トランプに投票するというアクションを取らせるためのメッセージを放ち続けているだけだ。要するに、現状のルールの中でベストを尽くしているだけ。明確なルール違反でなければ、勝つためには手段を選ばない。いいかどうかは別として、スポーツだってそういうチームが優勝することはよくあることだ。

ワシントンポストやウォールストリートジャーナル、フィナンシャルタイムズがどれだけトランプを非難しようと、そのメッセージはアメリカの人口のボリュームゾーンに届くことは無い。

トランプが大統領になったら大問題だ、と言うならば、その前にトランプでも大統領になれてしまう仕組み自体を疑わなければ、なにも解決されない。

それは日本も同じ。少子高齢化が進む中、未来を長くもつはずの若者の1票はお年寄りの1票と同じで、1人1票の原則を続けなくてはいけないのか?お年寄り中心の総意で選ばれた総理大臣が革新的な施策を打ち出すのか。

一人一人が声をあげ、自分たちの未来をどのように選択し、誰に託していくのか。それを改めて考える必要があるタイミングだと思う。

2016年5月6日金曜日

信託

信じて、信じて、己の未来を託すこと。それができるのが本当の仲間だと思う。

信じる気持ちに、応え、応え、応え続けようとすること、決してその期待や信頼に応えることに手を抜かないこと。きっとそれが誰かを愛することなんじゃないかなって思う。

もう少し、シンプルに生きられる気がした。

2016年5月5日木曜日

憎しみの空

ヒトの過ちが噓偽りで塗り固められ、隠しきれなくなった不都合な真実が空で炸裂しようとしている。

大切なヒトがその渦に巻き込まれる姿を目撃してしまったとき、誰しもココロは憤怒しその原因を直接的に破壊しようとするだろう。

けれど、憎しみの渦には絶対に入ってはいけない。もし、自分に十分な力があったとして、できることが1つだけあるとすれば、それは巻き込まれてしまった大切なヒトを全力で憎悪の渦から引っ張り出し、できるだけ遠ざかること。新たに大切なヒトが渦に巻き込まれないように防衛線を張ること。そして、自浄作用が働くまでじっと待つこと。

どちらかが完璧な善者ならそもそも諍いなど起きやしない。必ず両方に原因があるから始まった争いで、どちらが悪だと落とし前をつけたいだけの醜い闘いの先に、悲しみ以外に何も残るものなど無いのだ。

それが武力の形式だろうと別の形式だろうと、戦争は何も生まない。

歴史は、ただ繰り返すだけ。

そろそろ、我々は具体策を考えなくてはならない。戦争の種をひた隠しにするのではなく戦争の原因を元から断つ方法を。自分の人生が、大切なヒトの人生が脅かされ無いために、笑顔の明日を確かなものとするために。

2016年5月3日火曜日

成長

一生懸命に生きれば生きるほど、ヒトは過ちを起こす。

けれども、間違ったらそれをしっかりと認めて迷惑をかけた人達にお詫びの気持ちをしっかり伝え、また、一からやり直せばいい。

きっと、心を許せる仲間がいれば、過ちを嘘で塗り固めることなどない。仲間の期待に応えたいという気持ちが、物事を正しい方向へと軌道修正する自浄作用へと導くのだと思う。

2016年5月2日月曜日

確信

過去に巡りあった仲間の幸福を祈ることは、今の仲間を信頼すること。

自分の歩んできた道に誇りを持つことは、今歩む道を確かに信じること。

あの時に怪我した膝はまだ時々痛むけれど、その痛みがあるからこそ、今の自分がある。

さあ、このワクワクする今を、もっと楽しむためにどうしていこっかなー?

2016年4月30日土曜日

言霊

文字は人類の叡智だ。

その象形には、驚くほどの真理が込められている。

時空を超えて世界のそれぞれの場所で生き残った文字たち。文字は光を映し、波長を変換してエネルギーを放つ。

深い見識と意図をもって適切に文字を使いこなせたなら、歴史をも変えることができると思うのだ。

大切なひと

この世界に、良い人間も悪い人間も居ない。

けれど、僕と合う人間も合わない人間も居るだろう。

限られた命ある時をたくさん笑って過ごすためにも、自分自身が「大切なひと」との時間を意識的に選択できるひとでありたい。自分のことを「大切なひと」と思ってくれるひとのためになら、命を懸けてでも闘うひとでありたい。

2016年4月29日金曜日

揺れる

想いは揺れる。

とっくに覚悟をしたはずなのに、いざ実行をしてみると自分の踏み出した一歩にたじろぐ。

でも、それは恋愛の躊躇のように甘い陶酔感を伴う。

自分に酔ってしまわぬように気をつけなくてはいけないが、それこそが大きな挑戦ほどに心が燃える自分の本性なのだろう。

どんな小説よりも面白い人生が始まってしまった。もう、心の底から湧きあがってくる高揚感と笑顔が止まらない。

2016年4月27日水曜日

意志



今まで、意志は人間だけが持つものと思っていた。 

でも、最近思う。動物、そしてモノですら意志を持つのではないかと。

人間だけが特別だという考えが、世界をおかしくしている。我々は、我々自身が理解し認識している世界においてのみの情報で正しさや不適切さを判断している。人間など世界の全体像の中ではほんの一部分の存在でしかなく、大きく流れる時の川の中の一瞬の煌めきでしかないのだ。

地球が人間を進化させたのは、きっと地球自身を守るためだろう。そうしたら、銀河系ですら、自分を守るために地球を生み出したのだと思う。

全てのことは、地球の意志によって起きている。地球だけで解決できないことは、銀河系が意志を持って何かを起こしている。

その逆転現象がたまに起こることがあるが、それもまた、さらに大きな何かの一部分でしかない。

そう考えるなら、今の前提条件となっている「正しさ」に対する固定観念や他人の期待や妬みなどを人生から切り離して、内なる感覚に従って生きる方が、限られた生命の時間において「生きることのできる喜び」をもっと感じていられるような気がするのだ。

宗教だ、魂だとかを語るつもりは全くないし、そういう風に捉える人がいることは理解もできるけど、自分がそういった類のものに入るつもりも一切ないことは予め断っておく。

けれど、理屈で考えたって、突き詰めて考えれば、そんなことなのかなって思う。





勘違いの正義

正義には色々な形がある。

けれど、正義を語るときに考えなくてはいけないことがある。

その正義によって、大切な人まで破壊することにならないか。

大切な人を犠牲にしてまで、その正義を貫く必要があるのか。

大事な人を悲劇に巻き込んでよい正義など、この世に存在などしない。大切な人に危害を加えないで物事をよくしていく手段はあるはずなのだ。

もう少しだけ、自分が信頼している人間と深く話し合ってみて出てくる答え。

それは、きっと「調和」なのだ思う。

2016年4月26日火曜日

テロリズムの本質

ある博士は、新しい掘削技術によって人間の進歩に貢献するのだいう信念を持って、ある特殊な爆弾を作りました。彼は悪い人には使えないように、彼にしか設計プロセスは分からないようにし、また、彼しか知らないすべての爆弾を止めることのできる暗号をセットしました。その暗号がセットされていること自体、彼しか知りません。

ところが、その爆弾が地形への被害を最小限にして人間を大量殺傷できる使い方が各国の軍部の注目を集め、その爆弾は高額で取引されるようになりました。

戦争が激化するにつれて、博士には大量のお金が入ってきます。また、各国首脳は彼の言いなりです。

博士は、博士の好きな人間で側近を固め、国家よりも強い権力を手にするようになります。災害が起きたときには博士は大量の寄付を投下し、世界から尊敬の眼差しを浴びることになります。彼の名前の大学も建ちました。

しかし、爆弾工場がある国の生活は全く良くならないどころか、工場員の過労死や鬱病が多発しています。幸せ指数は1番低いそうです。

ある時、博士の出身国で銃撃事件が起きます。15歳の若者です。父親が爆弾工場の工場員で過労死したそうです。その若者は、警察に射殺されました。

博士は自分のやってしまったことに気がつきます。爆弾ができる前、開発が全然うまくいかなくて挫けそうになっても人類の進歩のためにという信念で乗り越えたあの頃の気持ちを思い出したのです。もう、すべての爆弾を止める暗号を使う決心をしました。

その夜、博士は妻に毒殺されて暗号は闇の中へ消え、彼に媚をうることがうまかった経営者が世界の工場の実権を握ることになりました。

同じものの再生産はできるものの、爆弾がどのようなプロセスで作られたかは誰にも分からなくなってしまい、抜本的な改良はできなくなってしまいました。

爆弾は次世代に託されました。新たな兵器で戦おうとする人、爆弾をすべて回収しようとする人、爆弾工場を破壊しようとする人、爆弾は正義のためであると主張する人、爆弾を売って荒稼ぎする人、爆弾に巻き込まれる人、爆弾と関係ない世界へと旅立つ人、そもそも無関心な人、たくさんの想いが空に交錯しています。


また今日もどこかで爆弾が爆発し、そして憤怒するテロリストの銃声が空に響きました。たくさんの人が亡くなったようです。

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これは、核兵器のことを指しているのではない。株式資本主義の末路とは、こういうことだと思う。

そして、どの登場人物の行動も人間の本性であり、ある意味において正しくそして必然である。自分も状況との巡り合わせによって、どの立場となるのかはわからないし、巻き込まれるまでは考えもしなかった非常識な行動を取りうるということを認識することが重要であると思うのだ。

誰も、特別な人間などいない。誰もが始まりにおいては、何があっても自分だけは善良なる市民でいられ続けられると思っているし、たとえその手が鮮血で染まっているその瞬間ですら、自分は善良なる市民だと本気で思っているのだ。

2016年4月24日日曜日

決めることの高揚感

自分で決めることは楽しい。人間誰しもそうだ。「自由裁量が欲しい」「権限を与えてくれ」決める段階のうちはいい。

現実はそんなには甘くはない。決めたあとには遂行が待っている。それは辛く険しい道だ。

身の程知らずが高すぎる山に登って遭難しかけると、人間はどんな山も登らなくなってしまう。最悪の場合には遭難して二度ともどってこない。



負け癖がついた人間は、自分で決めることをしない。仮に、山に登らなければお前はいつか殺されると言われて、どの山に登る自信もなければ「あの山なら登れそうだよ」と言われた山に登ることしかしなくなる。それが、どんな険しい山かも知らずに。ある人は、友達を誘うだろう。家族も連れて行くかもしれない。「おれの上司のオススメなんだ!」と、それがアドバイスをくれた人間に利用され続けるだけの地獄へと続く山かもしれないとも調べもせずに。

じゃあ、負け癖がついたらどうするのか。初めて山に登りたいと思っている時にはどうすればいいのか。

心の底から信頼できる山のスペシャリストに「先ずはこの山から一緒にトライしてみようか?」と、やさしく手を引いて一緒に登ってもらうのだ。

少しずつ難易度をあげ、自分の実力の正確な把握と山の総合的な難易度と攻略のポイントを分析できるようになったら、少しずつ1人でトライをしてみる。



そして、いつか、山を登りたいけれど登山口でモジモジしている人に、そっと声をかけてあげる。「一緒に登りませんか?」と。さらに教える過程を通じて経験は言語化・形式化され、自らの登山のスタイルへの気づきと成長へと昇華していく。


だけれど、稀にエベレストを制覇するような偉人が出てくる。彼らは、そもそも、失敗するかどうかなんて考えていない。山を登ることを心の底から愛し、その挑戦の中で死ぬことになっても何も後悔などしないと心の底から思っているからだ。

2016年4月23日土曜日

悪の中枢

諸葛亮孔明や土方歳三、勝海舟の様に優れた参謀が劉備玄徳や近藤勇、坂本龍馬の様な華々しいリーダーの陰で暗躍し時代の行く末の手を引いた様に、本当の悪も形式上のリーダーに巧妙に汚名を着せては排除することを繰り返し、闇の奥に潜み人知れず生き血を啜っている。

その悪の中枢を叩かなければ、名もなきテロリストの勇敢な銃声は虚しく空へと消えていくだけだろう。

だからこそ改革は徹底的に行わなければならないのだ。すべての原因を根本から絶つまでは。


正しいかどうか

今、その瞬間にやっていることが「正しい」かどうかなんて、そんなことは分からない。

けれど、その瞬間にやろうとしたことが、何かを良い方向に導こうとベストを尽くしたものであれば、後で振り返ってそれが瞬間的に正しくなかった判断だ思えたとしても、それはその後の時間軸も含めれば必ず物事は良い方向へと向かう。

立場によって、見る角度によって「正しさ」は変わりうる。だから、あれこれ「正しいかどうか」を熱論して何もしないよりも、小さくても今「より良い」何かをひとりひとり追求し、行動していくこと。

その総体でこそ、人間は進化してゆけるのだと思う。

2016年4月22日金曜日

総仕上げ

今日は、自分が信念をもって取り組んできたことの総仕上げの日。

それを歓迎するかのような、この最高の晴れの朝を、きっと僕は一生忘れることはないだろう。

さあ、想いよ届け!


ZONE



ある極度の集中状態になったとき、ZONEに入ったということが、スポーツではよく言われる。

体と神経の連携が調和しているとき。ベーススキルがしっかりと下支えがあるとき。本能と理性のバランスが絶妙に均衡しているとき。精神と肉体が十分に良いコンディションにあるとき。

条件は諸説あるが人間は100%のチカラを出し続けると肉体が崩壊してしまうため、一定のリミッターが作用するのだが、何かしらが引き金となってそのリミッターが外れる時間帯があるというのだ。

これは仕事にもあると思う。突然、これからやろうとしていることへの恐怖感がなくなり、どんな難しい交渉の道筋も一瞬で閃き、相手の反応を見てプレゼンテーションもその場で柔軟に変化できる。

プライベートで好きなスポーツを続け、自己啓発書をすこしずつ読み進め、大切なヒトとの時間を多く確保するとともに睡眠時間を十分にとる。その日常はもちろん調子が良くて仕事もはかどるのだが、ZONEとはまた違う。ただ調子が良好なだけ。

思わぬピンチが組織に訪れて極度の緊張感が走った瞬間や、見過ごすことのできない不祥事の種を目前にしたときに、自分の危険など顧みずに全ての細胞がその解決に向けて動き出す感じがするのだ。

ただし、ただピンチが訪れてもプライベートも含めて自分がトータルでベストの状態でなければZONEには入らない。

では、ZONEは誰にでも作れるのかというと、正直ZONEに入れるかどうかは天性である気がする。少なくとも何か1つを猛烈に愛せる志向性がない限り、ZONEが発生する状況を作りこむことが不可能だと思うからだ。

では、猛烈に何かを愛する志向性はどの様に作れるのか。


猛烈に愛されたことがある人間は何かを猛烈に愛することができる可能性を持っている、ということであれば、それは限りなく天性という条件と性質が似ている父と母の存在なのかもしれない。

それともう1つ、スポーツならまだしも仕事のZONEは自分のリスクを顧みない結果、組織や社会としては長期的に正解であっても他人の恨みを買い自分を危険な状況に追い込むことはあるから気をつけなくてはいけない。ただ、ZONEが発生する状態を作ろうとすること自体がその危険を受け入れる覚悟そのものであるから、怯むことなど何も無いのもまた真実かもしれない。




2016年4月21日木曜日

達成感

まだ、完全に終わってなどいないけれど。。。

人生で一番の達成感が、今。

すこしだけ、鷹村の気持ちが分かったような気がする。

でも、完遂まではあと一息。やり抜こう。



引き際

時勢に必要とされるリーダーというのは居る。けれど、時勢によって、今まで必要とされていたリーダーが必要でなくなるときもある。

それは自分にも起こりうることだと思うのだ。

改革の中心にいるときは気持ちがいい。特に創造的破壊を得意とするリーダーは世間で目立つので、尊敬の眼差しで見られることが多い。けれど改革は常に続けるものではなく、必要なときに限って集中的に行うものだ。改革がひと段落すれば調和や緩やかな成長こそが必要となる。

常にイノベーションを起こさないといけないという固定観念は、資本をレバレッジとして短期間で富を最大化するアメリカ型資本主義のご都合主義であって、必ずしもそれが正解ではない。分かるヒトは分かると思うが、近代ファイナンスの要諦はそれを助長するイデオロギーだ。

改革が終わったなら自分はもはや今までと同じ輝きはその集団の中に於いては持たないのかもしれないということ。もし、その集団に愛着があり残り続けたいと思うのなら、調和を得意とする人間に名実ともに上位の権威を渡し、むしろその人間に教えを乞いながら組織の成長に貢献すること。

どうせなら僕は、引き際が美しい人間でありたい。

瓦解

名も無き勇者の手によって、世界の理不尽が少しずつ明らかにされていく。

ただ、この先に本当に僕たちの望む未来が待っているのかどうかは分からないと感じている。

ヒトは誰も完全になどなれない。

どんな人間でも過ちを犯し、その過ちを誰もが完全に克服することができるとは限らない。

だからこそ、ヒトは補い合い社会を形成してきた。

この世界に起きている変化は、リーダーに完全を求め、もしその不完全さから不利益が少しでも発生すれば、時のリーダーを袋だたきにし失墜させる構造を作ろうとしていることだ。

人生のほとんどは自分の選択の結果であることは誰もが認めるところだろう。うまくいっているときはいい。けれど、ほとんどの人間が自分の選択が思わぬ結果になった時、誰かを責めて心のバランスを取ろうとする。

それを助長する仕組みを作り上げることが正しいことなのだろうか。

絶対に達成不可能な完全を求めることはさらなる隠蔽を助長し、いつかそれが邪悪の巨大な塊となり、臨界点を超えた時点で無関係な人たちを巻き込みながら地獄へと引きずり込んでいく。

こんな時代だからこそ、邪悪の塊に自分や大切なヒトの人生を犯されそうになったとき、闘うのか、すり抜けるのか、はたまた撤退するのか。状況を見極め、冷静に判断し、困難を切り抜けられる強さをもたなければならないのだと思う。

2016年4月20日水曜日

急拡大の痛み

中学生の頃、膝が痛かったのを覚えている。

身体が急激に成長するスピードに、接合部分がうまく適応せず、それが成長痛として、本人にしか分からない痛みとなって出現する。

その最中、指導者が無理をさせ、一生癒えることのない膝の怪我を抱えることはよくある話だ。

それは、いち個人と部活同だけの話ではない。きっと組織や会社でも同じことだ。

成長痛の割に、身体が大きくならなかった人間として思うこと。

それが、愛に守られた結果、不必要な拡大が阻止されたのだとしたら、見た目の大きさ以外にもかけがえのないものを数多く得ることができた素晴らしさを、全くの皮肉を無しに素直に「良かった」と言えることができると思うのだ。

終わりと始まり

このあいだの日曜日は強い風だった。

何かが産声をあげるとき、同時に何かが必ず終わる。

風が、全ての矛盾を吹き飛ばしていくようだった。

2016年4月16日土曜日

覚悟

今までが中途半端だったのかもしれない。

この程度までやったら終わりにする。この期間は頑張る。

いや、違うだろ。2年くらい、3年くらいと口にすることに何の意味がある?

どれ程に労力と時間がかかろうと、完遂するまでやりぬくんだ。終わらなかったら死ぬ直前までやるんだ。

そう覚悟を決めた途端、毎日、自分が自然と変わっていくのを実感する様になった。前よりも、周りの仲間を深く愛せる様になった。煌びやかさに目が眩んで作り上げた人間関係、分相応でないモノとの関与をどんどんと手放していく勇気を持てる様になった。

覚悟とは、決意とは違う。

覚悟とは、目指す場所に辿り着くまでに起こる全てを受け入れる強さだと思う。

2016年4月14日木曜日

転生と回天

長い時間を経て、善意と錯覚して取り込み自分の中に住み着いてしまった心を縛り付ける何かが、1日1日、身体の外へと流れ出ていくのを感じる。

成長しようとジタバタすることではなく、解き放つことによって本来あるべき心の大きさとカタチへと自然に拡張していくような感覚。

結果を追い求めること手放し、自然と大切にしたいと思える何かに、どんな結果になっても愛し続けるのだろうという心触りとともに少しの祈りを添えて毎日そっと水をあげ続けること。

そうしたら、思いもよらぬほど早く芽は息吹き、たくましく茎と葉をつけていった。これから、どんな花が咲いたって、きっと愛おしいのだろう。そして、その後に実る種を、僕の生き方に共感してくれた誰かが、きっと、もっと大きな愛で見事に育ててくれるのだろう。

そんなことを、考えている。

情報を加工する恐ろしさ



最近、NBAの試合を観てて思うのだけれど「接戦!」の見出しが付いてる記事が出回ってる試合を、全試合カット無しで見てみると、ディフェンスが単にザルで、ただの打ち合いだから点がたくさん入っていることもたくさんある。

ほとんどのNBAファンが全ての試合を通して観て内容の良し悪しをちゃんと確認などできないのが事実な中で、NBAの情報配信の役割は、与えられた結果情報を組み合わせて、嘘をつかない範囲でできるだけファンのワクワクを掻き立て、観たいという気持ちを喚起させること。

そう考えると、メディアが想起させたいイメージと現実はメディアビジネスの経済合理性の追求を原因としてねじれが発生し、人の判断を誤らせることもある。

なんだか、大袈裟な話ではなくアメリカを象徴してる気がするな。だから、非営利のメディア団が世界に大きな影響を与え台頭してきているのだろう。

現地時間4月12日のスパーズ対サンダー戦、メディアは好ゲームの様に描写してるけど、よくよくスタッツを見てみると、ウエストブルックもデュラントも全く出てない。どんなにスコアが接戦だとしても、それは面白くないよ。。。と、思ってしまう。



少し話は変わるけど、これまでプレーオフ前までは選手をちゃんと休ませていたスパーズが、明らかな消化試合でレナードやダンカンをはじめとした主力を使いまくって、しかも控え中心のサンダー相手に接戦になってしまっていること自体、スパーズ大丈夫なのか?って思ってしまう。



ウォーリアーズの輝きに、自分たちを見失ってないだろうか。

2016年4月13日水曜日

信じること

信じること、信じ続けることって、すごくエネルギーを使うよね。

でも、ヒトを信じてあげられない時って、自分自身を信じられない時であることが経験上たくさん重なっているのは、偶然じゃないのかもしれない。

変えるということ、変わるということ

そこに自ら変わろうという意志がなければ、一定の影響を与えることができたとしても、本質的にヒトが変わることはないと思う。

そもそも、ヒトを変えようという行為自体がおこがましいと思うのだ。

道を歩こうとするとき、先導する人、先導に従う人、違う方向に行く人、その場にしゃがみ込む人、歩もうとする人の足を引っ張る人、歩けない人の手を引っ張って歩く人。

それぞれが置かれた状況、置かれた立場で、意識するしないは別として夫々の意思を持って、今を選択している。

大切なのは、そのヒトがなぜ、その行動を取ろうとするのか理解しようとし、時にはその気持ちに寄り添うことだと思うのだ。

夫々の選択の結果、違う場所にたどり着くのであれば、それぞれの自分の現在地を、ただ自分自身が受け入れるしかない。

選択の時が訪れたとき、誰かに選択を押し付けられたとしたら。きっと、いい結果が出たときは自分が受け入れた寛容さの結果と見栄を張り、悪い結果が出たときは誰かのせいにするのだろう。

選択の時が訪れたとき、自分で覚悟を持って選択したのなら、きっと、いい結果が出たときは運がこれほどにも結果を左右することへの真理に驚きと感謝を感じ、悪い結果が出たときはベストを尽くしたのだから仕方がないとすぐに前を向けるのだろう。

そうと分かっていながら、選択は他人に大きく影響を受け、それもまた、一概に悪いこととも言い切れないのが、今を懸命に生きる妙理なのではないかと、そんな風に感じている。

2016年4月7日木曜日

人間にあって、動物にないもの

人間にあって、動物にないものってなんだろうと、ふと考えてみた。

お金?言葉?技術?いや、それは枝葉やツールであって、もっと根本的な何かがあるはず。

それで、少し考えてみた。

それは、自分以外の何かに意識的に影響を与える力、なんじゃないかと思う。

そして、その力を「意志」と呼ぶのだと思う。

2016年3月24日木曜日

変化の兆し

21世紀に入ってからというもの総合商社として常に連結純利益トップを走ってきた三菱商事が初の赤字決算に突入し、しかも総合商社最下位になることがほぼ確定的になりました。そして同時に三井物産も、赤字に突入しました。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6195512
 
<記者会見に臨む小林社長。今期限りで退任し、垣内新社長に重責は引き継がれる>


ポイントは、会計上の減損は、決して「実損」ではないということです。会計はルールに則ってさえいれば、「意志」によって表現を変えられる幅があるのです。商社本店社員の人件費の高さと人口ピラミッド、第3四半期時点での伊藤忠の勝利宣言、こういうことにピンと来る人も居たのではないでしょうか。

この会計処理には、僕は、企業体として生まれ変わろうとする強い「意志」を感じます。

その意味で去年、先行して巨額減損をとった住友商事の判断は、とても素晴らしいと思っています。

これから数年、本社社員は給与の見直し等、苦しい時期を経験すると思いますが、これを契機に「あるべき姿」に会社を変えることができれば、きっと総合商社群は本当にいい事業体へと変化していくのではないかと思っています。

イスラム国の問題を中心としたテロによる世界の分断と先進国の安全の危機、トランプに見る世界のリーダーが直面する資本主義の限界。そして三菱商事が突きつける、大企業神話の完全な崩壊。

その一方で、オリンピックをきっかけにしてにわかに活気付き、また震災を経験した若い世代が、世界に恩返しをしようと力強く羽ばたき始めようとしている日本。

僕らの世代がビジネスパーソンとして成熟する頃には世界がもっと分裂・大荒れする可能性がある中で「調和」が最も大事な機能になるとしたら、どの世界的勢力にも本質的に組しない日本の総合商社が、本当に世界に必要とされる時代が近々到来するかもしれない、そんな予感がしています。

2016年3月9日水曜日

オレは今なんだよ‼︎



いいのだろうかってくらい、仕事も、バスケも、思いっきりやりたいようにやれている状況。

今を、本当に大切にしようと思う。

そろそろ、ブログのトップ画像変えなくちゃ。