プロジェクト結の活動に参加し、学校のブランコのペンキ塗りをするWyjuana
3月12日のバスケイベントに向けて、いろいろな方に話を伺っていた1月から3月。石巻の先生に会い行ったとき、ちょうどプロジェクト結のボランティアの振り返り作業を行っており、その振り返り会を見学させてもらえることになった。
50歳程度の年長者から高校三年生まで、会社の社会貢献活動の一環として来た人もいれば、自費でボランティアに来ている人、そのバックグラウンドは様々だった。
その中で、高校3年生の女の子が目に涙を一杯にためて話した言葉を、僕は一生忘れることはないだろう。
「友達に、自分でお金払って、休日まで潰してまでなんで東北なんかに行くのって聞かれた時に、胸を張って”誰かの役に立ちたい”って言うことができなかった」
そのおとなしそうな女の子は大学では心理学を学び、人の心のケアをしたいという。活動の一週間のうち、始めの方の日程で体調を崩してしまい、力仕事にあまり参加できなかったようだった。
「人の役に立ちたいって来たのに、迷惑をかけてしまった。同じ高校生でも、大人に積極的に声をかけてリードしていた人もいた。みんなみたいに、もっと強くなりたい。こんな自分で悔しい。」
何か、この風景はおかしくないだろうか。
人の役に立ちたいと心の底から思っていて、行動に移したその心優しい女の子が、ただ、ただ涙を流すその姿に、僕はぶつけようのない怒りと自分の無力さ、そしてこの日本の惨状を見た気がした。なんと貧しい社会だろう。たくさんの命がなくなった大震災の直後、自然に苦しむ人の役に立ちたいと思った結果が、その人自身の心の苦しみを生むことになるなんて。
経済発展を追い続けた日本。その行き着く先に求めていたのはこんな現状だったのだろうか。戦後、復興を胸に生き抜いた先人たちは決してこんな未来を描いていなかっただろう。誤った経済発展の終着地点に到達してしまったこの日本。もう一度、光のある方向がどこなのか地図を描き、誰でもそこまで行けるようなレールを強い意志で構築していかなければならない。
泣いていた女の子へ。
本当にごめん。僕らが大人が不甲斐ないせいで、苦しい思いをさせてしまった。
10年後、20年後、また彼女にあうことができたとしたら、彼女は笑顔でいられる社会になっているだろうか。10年後、20年後、心優しい高校生が苦しむ人たちに手を差し伸べたとき、生きる喜びと出会えるような社会となっているだろうか。もし、そうなっていなかったとしたら僕はまた無力感に包まれ、今度は僕自身がその環境を日本に作り出した一級戦犯の一人として、罪悪感に苛まれることになるだろう。
僕だって時に不安になるし、信じたい。3月12日の東北でのバスケ教室が、少しでも子供たちの明日を照らす光につながっていくものだったということを。
走っていきたい、困っている人を助けることが賞賛され、誰かのための小さな挑戦が生きる喜びの連鎖を生む、そんなことが近い将来、当たり前の社会になっているように。
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