2011年1月30日日曜日

日本のバスケにもっと自由を。

日本のバスケには自由が少ないと思う。心の底からバスケを愛してしまった結果、逆に納得のいかない人生を過ごしてしまう人もいるのではないかと思う。僕自身バスケに足を取られ、危うく納得のいかない大学生活になってしまうギリギリのところまでいった。

日本でバスケとともに歩むという事、その先にある希望に満ちた選択肢は、多いとは言えない。そう強く感じる出来事が最近あった。

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bjリーグの東京アパッチのボランティア後、ボランティアの参加者と飲み会を開催したら、学生が沢山参加していた。たまたま、隣に座った大学一年生がNBAでの経験を聞きたいと色々話すなかで、その学生がボソッと漏らした。

「このまま学校にいると、満然と四年間が流れてしまって、何も残らない四年間になってしまう気がして怖いんです」

その学生は名門大学で、傍から見れば羨ましい学校生活を羨まれるような立場にいる。今の学生を襲う不安感とは、きっとこういうことなのだろう。輝かしい選択肢や、充実した毎日が目の前にある時に人間に起こる現象は「迷い」だ。しかし、目の前に未来が見えない時、人間が感じるのは「恐怖」なのだと思う。大学生になれば、義務教育の延長である受験から開放され自分で選んだ専門の中で学生は好きなことができる、輝かしい未来を描ける、、、ハズだ。そうあるべきだ。しかし、今の日本の高等教育はそうなっていない。

大学にはいれば、使えるかもわからないマクロ経済だの法律体型だのを教授が黒板に書きながら一方的に話すだけで、何が自分の役に立つのかサッパリイメージが湧かない。金太郎飴しかできない教育の中、学生は就職活動をするタイミングで自分にアピールできる武器が殆どないことに気がつく。就職活動が早期化する中で、その現象はますます加速するだろう。
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日本には自由が少ない無いと感じるのだ。物質的な欲望は満たされ、不足するものなど殆ど無いハズにも関わらずだ。自由とは、今与えられているものが多いか少ないかによって決まるのでは無い。これから自分に迫ってくる未来を自分の意思で決めることができるかどうかによって決まるのだと思う。それはお城の中のジャスミン姫が庶民の暮らしに憧れるのと同じだ。だから自由の大きさは自分にとって素敵な選択肢が目の前にどれだけ多くあるかによって左右されるのだと思う。成熟しきってしまった日本社会で輝かしい未来を見出すのは難しい。本当は大学はそういった社会の中で何を心の拠り所に生きるかを伝える場所であるべきではないかと思う。

そして、日本のバスケはどうだろう。子供の頃バスケという選択肢にめぐりあい突き進んだ結果、愛したバスケットと歩みたいと心の底から思ってしまった時、目の前に選択肢は殆どないことに気がつく。経済的な充足をかなぐり捨てなければ選ぶ事ことのできないバスケという道を多くの人は諦めていく。
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僕が20歳の時、bjリーグもなかった2004年夏、僕の求める日本のバスケに関わる為の道が全くない事が分かった。バスケのクラブ運営に関わるには大企業に入り、運良くスポーツの担当になれれば関われる。でも任期も短く、すぐに他の部局に回される。バスケの実績が無い僕には、他の手段は、無い。自分にとっては衝撃の事実だった。バスケを愛する気持ち以上に誇れるものなど無かった。けれどバスケが好きな気持ちを変える事はできない。実績もない。バスケ以上好きにななれるものに巡り会える自信など、微塵も無かった。

日本のバスケとともに歩んで行く事が僕の中で恐怖に変わった。納得できる人生を送ることができるか、不安で仕様が無かった。

僕は理想に当てはまる道を探していた。でも、ある時気がついた。そもそも僕の求める生き方に似たような例など無いのだ。だったら、自分が道なき道を進んでいくしかない。それに気がついたのは、スポーツ界を変えていこうという同志に会い、その実践をしていく過程においてだった。



道が無いことへの「恐怖」は、道を切り開いていくことへの「挑戦」へと変わった。



今もゾッとする。この同志達と出会わなければ、どれだけ鬱々とした人生を送っていただろうか。少なくとも、今の充実した時間は絶対に無い。

SMRGの実践活動第1弾のSports Campusの写真。自分に未来を与えてくれたのはバスケットボールではなく、慶應野球部の存在だった。第一回の2004年11月6日から、もう6年の月日が過ぎ去った。】
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バスケに出会えたことが、本当に良かったと振り返られる人はまだまだ少ない気がするし、運によるところが多い気がする。一部の運のいい人間しか幸せになれない日本のバスケ界であっては、継続的発展などするはずが無い。だからこそ今、バスケ界で幸せを掴めた人、バスケで苦しんだ人、全てのバスケを愛する人が一つになり、あらゆる業界をまきこみ、運で得た価値を仕組みに落とし込み、苦しみが二度と繰り返さないよう学び、そして多様さを取り込むことで素敵な選択肢を増やしていく必要があると思うのだ。

自ら選択した好きなこと追うことの楽しさ、高揚感、充実感。経済的に成熟し高度成長の望めない日本で物的欲求を満たした先に待っているのは自己実現欲求。今の日本に足りないのは、その欲求を満たす条件となる「自由」だ。もしかしたらバスケだけじゃない。サッカー、野球、ダンス、ダンス、音楽、芸術、好きなことを追うことが日本は物凄く難しい社会なのかもしれない。

だから、伝えたい。大企業に勤めながらでも一つずつステップアップし、夢に近づいていくことはできるのだと。夢を持つことで毎日の小さな業務も夢の達成へと結びつき、ワクワクしながら毎日過ごせるのだということを。夢に向かうために、好きなものを追うために人生のすべて投げ出し、100かゼロの選択を迫られる生き方だけがこの日本で夢を追う手段ではないということを。

僕の様な生き方が、学生時代の僕と同じ様な恐怖を抱いた誰かの、夢とともに不安を抱く誰かの、一つの選択肢になればいいなと思ってこうして今Blogを書いている。自分の人生が最高だったと次の世代にに胸を張れるようになるにはまだまだ、道半ば。一歩ずつ、一歩ずつ。夢を追う人たちと一緒に助けあいながら。


2011年1月17日月曜日

"奇跡のリンゴ"を読んで

久々に凄い本に出会った。これはスティーブジョブズのスタンフォード大学のスピーチを超えるかもしれない。本当にお勧めです。この本を読んで思ったこと、学んだ事をバスケ界に重ねて散発的に備忘録として書きます。紹介して下さった方に心の底から感謝です。


・りんごが成長するのを助けてあげるだけ。その為に酢や虫取りをする→エンターテインメントや派手な演出は、バスケットボーラーが成長する、やる気が出るのを助けてあげるだけ。本質的な価値向上ではない。

・自然に戻すことが大事→やりたいときにバスケが出来、見たいときにバスケが見られる。押し付けではなくバスケも自然に戻してあげることが重要。

・どんぐりの木をみたことが転機→他の視点を取り入れることによって根本的な解決が見つかるときがある。バスケだけ見ていても絶対に解決しない。

・木村さんが色々な人の助けを得られたこと→狂気とも思える熱意が人の心を、行動を動かすことがある。その人々の協力なければ大きな達成は不可能。

・木村さんの話の上手さ→熱意があるだけでは足りない。人の心を動かすには話術、それ以上にコミュニケーション能力が必要。

・昔にエンジニアとして熱中していた時期があった→熱中したことが夢の達成にどう関わってくるかは分からないが、真剣に取り組んだ経験は思わぬ形で夢の達成を後押ししてくれる。

・食っていけるようにしなくてはいけない→生活ができるようにならなければ、次世代がついてこない。それはバスケも同じでプレーヤー、マネジメント共に飯が食えるようにならないと社会という大枠の視点では何も変わらない。

・家族、周囲の畑への迷惑に心を痛めていた→私利私欲が動機の場合は周囲の人間は動かない。周囲への配慮があったことが協力を呼んだ。





2011年1月13日木曜日

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(2)

前回はコネクションとネットワーク、そしてネットワークの効用について説明しました。今回はネットワークの負の側面に触れます。総括へと移ります。次回の記事ではネットワークの構築の具体的な手段について書きます。


【前回記事】
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/1.html


(参考文献)
    

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ネットワークの利点は大きく3点あると考えます。ちなみに強いコネクションを数多く持っていることを「広範なネットワークを持っている」とか「強いネットワークをもっている」と表現したりします。例えば、「島本さんはバスケットボール界において幅広いネットワークを持っている」という言い方もできるでしょう。さて、本題に戻ると、強いネットワークを保持していると、信頼を得ることが容易になることから、行動範囲が飛躍的に拡大します。就職活動はまさにこの例ですし、信頼があればビジネスの商談も早くそしてより大きな規模で進められるでしょう。また情報の収集力も向上します。情報は自分で探すよりも専門家に聞くのが一番早く効率的だからです。今アメリカで流行のラップミュージックが知りたいときに、もしアメリカ人の詳しい友達がいれば、その人に聞くのが一番早く効率的です。自分で探そうとすると、インターネットなど大量の情報の中からさがしたり、もしくは色々視聴したりして、多くの時間を割かねばなりません。最後に、ネットワークによって創造力も向上するとも言われています。ネットワークが広ければ広いほど、いろいろな人からアイデアをもらったり、自分の意見にアドバイスを求めたりすることができるからです。

しかしながら、ネットワークが問題になる例も存在します。それは仲介者が公正な倫理観を持っていない場合です。例えば、仲介として賄賂の要求や売春行為が主なものとして上げられます。また自分の単なる好き嫌いや血縁関係、機嫌によって判断を決めるような人間が仲介をすると、不公平が生じます。このような状況、風潮を”官僚主義”といいます。官僚主義が蔓延すると先ほど述べたA君の立場に当たる人間は、仲介者の機嫌をとることのみに専念し、本来専念すべき研究や、活動成果の向上のために努力をすることをしなくなってしまいます。この状況が過激化すると、コネクションを得ることだけに秀でた無能な人間にますます力と資金が集中し、実力を備えていてもコネクションを得ることが難しい人間はどんどんチャンスから遠ざかります。不条理な風潮が漂うようになり、全体のモチベーションは低下します。その結果、経営陣は、非倫理的かつ無能な人間で構成されるようになり、ずさんな経営の末路には、一線を越えた瞬間に、色々な人を犠牲にしながら一気にシステムが崩壊する可能性があります。ライブドアや村上ファンドは典型的な例で、経営者の不祥事が原因で経営者と関与した人間が信頼を失い、事業の撤退を余儀なくされただけでなく、日本の株価市場に大きな打撃と、株式投資に対する不信感を生み出しました。(今読み直してみると、話を大きくしようとして、ちょっと論点がズレてますね。ライブドアと村上ファンドの例はネットワークの負の事例とはあまり関係のない、自由資本主義の負の側面から起きた事件だと今は思います。まだ小沢一郎さんの献金問題の方が具体例としては近い気がしますが、学生の時に書いた記事そのままにしておきます。このようなスキャンダルは日本でも数多く発生しており、悪い例は世間一般にあっという間に広まるのが通例です。恐らく、これらの事実が日本人のコネに対する嫌悪感が強めているのだと思います。仲介者も仲介される側もコネクションの機能を活用する際は、官僚主義下の仲介行為がもし明るみに出れば双方が社会的信用を一気に失い、職を失うだけでなく、永久に汚名を負って生きることを余儀なくされる可能性があることを常に心に留めねばなりません。アメリカではビジネスにおける不正行為は厳しく禁じられており、法律としても、社会的圧力としても、抑止力は日本より格段に強いようです。アメリカでそのルールを破ろうものならビジネス界から永久に追放されます。正式な契約以外でのお金のやり取りはもちろん、アメリカではビジネスでの関係がある人々の間においてギフトを交換することですら一切許容されていません。ビジネスにおける公正、公平の倫理観そしてそれを強要するルールが強く働いている状況においてのみネットワークの機能は正常に働きます。仲介の状況判断は、それまでの活動の成果また、成果に至るまでのプロセスによってのみ判断されるべきなのです。

しかしながら、忘れてならないのは、ネットワークを正しく使えば、非常に有益であるということです。日本バスケットボール界には官僚主義が強く蔓延しているかのように見えます。Hoop HysteriaのWeb上のだむだむ探検隊のレポートを読む限りでは、世界選手権のマネジメントはそれを反映しているように思われ、また相当深刻な状況であるように思われます。これらの状況を打破するには、ネットワークの原理、影響力を正しく理解すると共に、どうその壁を乗り越えていくか、戦略を立てることが必要なのです。自分が公正かつ公平な人間であると胸を張っていえるのであれば、自分はネットワークを得るのにふさわしい実力をもっていると自信を持っていえるのならば、コネクションを使うことをためらってはいけません。また、今はネットワークをもっていないとしても、バスケットボールに対して何か貢献できると信じるもことを諦めずに実践し、社会発信を続けていれば、公正な倫理観と強力なポジションの両方を持ち合わせた人間がいつか必ず評価してくれます。それは私たちの組織したSMRGでの実践活動から強く感じたことです。確かに日本のスポーツ界の官僚主義はアメリカよりはるかに強く、希望は小さいかのように見えます。しかし、理想と現実のギャップをしっかりと把握し、戦略を立て、それを実践に移す強い意志があれば、明るいバスケットボール界の将来を見ることは決して不可能ではないと思っています。

次回は、どのようなネットワークが望ましいか、どのようにネットワークを作るのか等、ネットワークに関してもっと踏み込んで述べたいと思います。

それではまた次号!
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次回はネットワークの構築の仕方について述べます。

コネは悪くない!?コネの真実に迫る(1)


大学時代、コミュニティ論を勉強していた事から、アメリカに留学中に書いた記事です。社会人になった今、なおさらネットワークの重要性を感じています。スポーツ界で働きたい、でもどうすればいいのか分からないという人に加え、スポーツ界に限らず就職活動している学生にも何かしらのヒントを与えられればと思います。今回の題目でコネを学術的に説明した後、その後の題目でネットワークを作る上でのボランティアの有用性を論じます。

(参考文献)
    
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ついにNBAが開幕しました。既に数回NBAを見に行っているのですが、115日の試合では、40周年を記念し、歴代の名選手がコート上に登場しました。デトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてさらにはショーン・ケンプも生で見ることができました。過去のハイライト映像等、豪華な演出に加え、当日の会場はほぼ満席で、式典中の一体感には鳥肌がたちました。

今回はコネの基本的な考えと重要性について述べたいと思います。

さて、コネと聞いたとき、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。「あいつ、教授のコネで大手企業に受かったらしいよ」「アイツがいい大学入れたのはどうせ親のコネだろ」などの会話はよく聞くコネの使用例だと思います。日本でコネ、というと、汚い、媚を売る、などが連想され、どこかネガティブな響きがしませんか。私の考えでは、日本人にはコネに対して嫌悪感を抱く人が多いように感じます。

しかし、アメリカではコネはビジネスをする上で決定的な要素であり、アメリカ人もそれを認識しているため、日本ほどネガティブな響きを含みません。アメリカは実力社会だ、というイメージからか、人間関係のしがらみなどほとんど無く、実力だけが何よりも評価されると勘違いする人がいますが、実はアメリカは日本以上にコネ社会で、さらに学歴社会です。イチローがマリナーズに来られたのも、コネの影響力が大きかったといわれています。イチローの元出身の球団である元オリックス・ブルーウェーブは任天堂の本社がある神戸が本拠地ですし、シアトル・マリナーズのオーナーは任天堂の社長です。程度はあるにせよ、選手獲得の意思決定に影響力があったことは間違いありません。(これは当時の推測です。事実に基づいた発言ではありません。)


コネに対する偏見を解決するため、コネの定義や基本原理について解説したいと思います。まずコネ、とは英語のコネクション(Connection)”に由来します。状況によって意味や定義がやや曖昧なので、ここでは単純に「人と人のつながり」と定義したいと思います。図1ではAさんはBさんに対してネットワークをさらに類義語としてよく用いられるネットワークですが、ここでは「コネクションの集合」(2)と定義したいと思います。その意味でコネクションとネットワークは意味が若干異なります。次に、コネクションやネットワークが就職や仕事に有効に働く基本原理について例を挙げながら述べたいと思います。


AさんとBさんの間には過去の経験から、強い信頼関係があります。さらにBさんとCさんも同じように強い信頼関係があります。AさんとCさんは全く面識がありません。しかし、BさんはAさんもCさんも強く信頼しているわけですから、CさんはAさんにとって信頼できる可能性が高いといえます(3)Bさんのような存在を仲介者、また仲を取次ぐ行動を仲介とここでは定義します。この原理は非常に近い好みをもっている友達が強く推薦してくれた女の子は、高確率で自分の好みにあっているのと似ています。ではもう少しまじめな、就職の例に置き換えてみましょう。A君はB教授にゼミでの献身的な活動を通じての厚い信頼があります。B教授は大手企業の社長であるC氏と過去の仕事の成功を通じての強い信頼関係があります。B教授がA君をC氏に強く推薦したので、A君とC氏は一度面接をしただけで、一般公募とは別に大手企業の内定を獲得しました。これはコネクションが有効に機能した例です。このような例は表立って見えづらい現象ですが、実は数多く存在します。


ここで、C氏はA君のことをもっと調べるべきだ、他の人に不公平だから一般公募を受けるべきだ、と思う人もいるかもしれません。しかし、コネクションに基づく人間評価は、何千、何万という学生を一度に相手にする企業面接よりはるかに効率的です。時間はいつも限られています。一般公募の場合は、大体の場合、12ヶ月の間に数枚の履歴書、5回程度の面接で人間を判断せねばなりません。この状況下で全員を公正に評価することなど不可能です。1、2ヶ月の期間ならば、自分の能力を誇張したり偽ったりして表現することも可能ですし、テストや口先のみに優れて、実際は無能な人間はたくさんいます。逆もしかりで、短時間で自分を表現することは不得手でも、長期間の仕事になると卓越した能力を発揮する人間もいます。その一方でコネクションの場合、1年もしくは2年間など、じっくりと観察した上での仲介であれば、その企業にふさわしくない人間を採用してしまう危険性を一般公募より遥かに削減することができ、より正確な判断を短期間かつ少ない費用で可能にします。お見合いのカタログから自分の結婚相手を選ぶのと、親友の勧める女性と交際してみるのとでは、どっちの方が安心できるでしょうか。もちろん、親友、ですよね。
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(続きの記事)
http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2011/01/2.html



2010年12月31日金曜日

限りある時間の中で

限りある時間の中で、終わりある人生の中で僕は何を遺せるだろう。死ぬことを選ぶことは誰でもできる、でも生きる時間を選ぶことは誰もできない。そんな人生の中、明日自分が死ぬこととなっても、胸を張って僕は次世代に何か価値を残すことができた、そう言えるだろうか。そんなことを年の瀬に想っている。

色々なことがあった。自分の仕事のできなさに打ちひしがれ、逃げたくて会社を心のそこから辞めたいと思った。学生時代に命を懸けて守ってきた、共に歩んできた組織が無くなってしまいそうになった。大事な人を傷つけ、仲間を失いそうになった。心の底から好きだと思える人と出会って、でもその想いは届かなかった。仕事では大きな難題が発生し、挫けそうになった。失敗や怒られることばかりだったけれど、今思うとどれも自分にとって学びと成長の連続だったように思う。

とりあえずこうして年の瀬を幸せな気持ちで迎えられるのには、多くの支えがあったからだ。

会社を辞めたいと思ったとき、普段は僕の人生に全く介入しない父が僕を呼び出して飲みながらこういった。「会社を辞めるのは構わない。でも、今の会社以上にお前の夢を現実化するのに近い会社がどこにある。逃げても同じだ。せめて自分のアイデアを全力でぶつけてから辞めて来い。そうでなければ一生後悔するぞ。」僕は夢の達成と程遠い自分と向き合うのが怖くて、逃げたかっただけだった。

仲間を傷つけていながら、突っ走って周りが見えなかったとき、僕が心から信頼する後輩が言ってくれた。「あなたはなぜ周りを傷つけていることに気がつかないのか。彼らの想いに、彼らの気持ちにもっと耳を傾けてくれ。そして彼らが必要としている言葉をかけてあげてくれ。誰も今のあなたにはついていけない。」仲間のためだと想って全力で走っていたことが、害でしかなかった。それを受け入れるのは辛く、苦しく、涙が止まらなかったけれど、友のおかげでもっと大きな不幸を味わわずに済んだ。



ずっと、僕は今の会社にいる価値がないと思っていた。もらっている給料以上の価値を生み出している自信など全くなかった。会社にとって損失、お荷物でしかない。それは凄く辛く、僕の生きている意味までも否定するものだった。

そんな時、自分の心に言い聞かせるのは「周りと比較するのはやめよう。昨日よりも少しでも成長できたなら、自分を褒めてあげよう」ということだった。起きるほうが辛くて12時間以上寝ていた休日も、少しでも本を読んだ。自己啓発、金融、会計、ファイナンス、脳科学、経済、話術、たぶんこの2年で読んだのは100冊以上。でも、覚えているのは一冊一行あればいいほうで、仕事になったら忘れてしまっていた。学んだことを実践できない自分に嫌悪感を抱く毎日。怖かった。勉強しても勉強しても、きっと自分は仕事ができるようにはならない。自分の夢に敗れた負け犬として生きていくのが、凄く怖かった。

でも、あるとき、点が線になり、線が面になり、そして面が立体になる瞬間があった。突然、仕事がうまく回り始めた。11行しか覚えていなくても、100冊も本を読み、それに経験が伴えば、安い本くらいにはなるものだ。

そこから、調子に乗ったのもあって、色々な失敗をした。たくさんの人を傷つけてしまった。でも、心の底から僕のことを想っていてくれる人の支えがあって、全てを失うことなく、今、なんとか幸せな自分でいられる。



始まったときは終わりのことなんか想像できなかった2010年。それもあと数時間で終わろうとしている。きっと、僕の人生もこんなふうに終わりを告げるのだろう。

いつ死んだとしても、納得できる人生を歩んでいたい。そして、あわよくば、僕が生きたことが他の人にとってマイナスであるよりはプラスであってほしい。少なくとも今、この瞬間に核兵器が日本に落とされて、朽ち果てることになっても自分の人生に後悔はしないだろう。そう思えることがどれだけ幸せなことか。

次の年も、ひとつずつ前へ、いつの時も自分の弱さや小ささから目を背けず、等身大の自分と向き合っていたい。2010年の始めに立てたテーマ「等身大」と「Small Steps」。とりあえず達成できたかな。

僕を支えてくれた全ての人たちに、本当にありがとう。自分が小さくて、小さくて、悔しいけれど、迷惑をたくさんたくさんかけて不甲斐ないけれど、一日でも早く恩を返せるように、僕は来年も一生懸命生きていきます。

来年もどうぞ、どうぞよろしくお願い致します!


2010年12月5日日曜日

会社の利益か、社会の利益か~エージェンシー理論とスチュワードシップ理論~(2)


前回の投稿の続きです。

4年前の文章ですが、自分の軸となる想いが変わっていない事が分かりました。ビジネスというフィールドからアプローチする上で、僕が大事だと思う事のほとんどが、この文章に盛り込まれています。



(参考図書)
    

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スチュワードシップ理論では、企業の達成こそが焦点であり、企業と株主の理念の一致が前提なので、非倫理的な行動が発生することはエージェンシー理論よりは少ないと思われます。ここでのポイントは投資家へしっかりと企業の存在目的を伝えると共に、両者の利害を常に一致させるのがポイントとなります。その一方で、資産を拡大させようとすることに焦点を当てた大資産家からの投資はエージェンシー理論よりは望めず、企業を拡大化し、収益を増やしていく勢いは弱いと思われます。また、収益以外の何をもって、企業の達成を図るのかは非常に大きな問題です。

スチュワードシップ理論がより優れた理論に見えるかもしれませんが、お金を儲けようとする動機は社会を突き動かす大きな要因として存在することを忘れてはいけません。理念はものすごく素晴らしく、やっていることは誰から見ても善良な事業、しかしながら、いつまでも月20万円くらいの給料。理念も悪くないし、やっていることも別に倫理に反しているわけではないくらいの企業だが、月収100万円。どちらを取るかは人それぞれですが、少なくともどちらを取るか心の中で揺れるのが人間で、これが現実です。また企業は社会の一部であるために、生み出した利益を社会に還元すべきだ、また存在そのものが社会に貢献するものであるべきだ、という考えもあるかと思います。しかしながら、どうやって社会に貢献していることを図るのかが問題になります。何が人を幸福にして、何が人を不幸にするのか、それは非常にあいまいな問題です。依然として収益の大きさが企業を評価する上での一番の尺度とされているのは、一番数字に表しやすく手っ取り早い方法であると共に、社会に貢献しているかどうかを測る尺度がいまいち発展していないことに起因しています。

要は両方の理論とも一長一短であるということです。両方の理論に共通して言えるのは、経営者が両理論の長所、短所を踏まえながら、正しい理念を持って経営をすることが重要だということです。本当に優秀な経営者は、社会に貢献しなければ、そのうち顧客に見放され、いつかは企業として成立しなくなること、またどんなに社会貢献してもお金がなければやっていけないことを心得ています。また社会に対して貢献している企業が、もっともお金を稼げるような制度、社会的プレッシャーを作ることも重要です。そのためには社会に貢献している度合いを測るような有効なツールを発明すること、社会貢献活動の報告に関する制度の整備などがあげられます。また私たち自身が非倫理的な方法でお金を稼いでいる企業の商品を買うのを辞めて、少し高値でも素晴らしいことをしている企業の商品を買うといったような姿勢、またそういったことを教育として後世に伝えていくことが重要になると思います。

なぜこのような説明を長々としたかというと、このビジネスの視点から、スポーツの分野に焦点を絞っているだけでは見えてこないことがあるということ、さらに日本のスポーツは社会的な重要性を保ちつつも、お金をしっかりと稼いでいくことが必要なのだということを強調したかったからです。スポーツビジネスという分野が注目され始め、ビジネスの観点がどんどんと日本スポーツ界に流入してくる中、ビジネス化が加速するとどのような状況が起こりうるのか、それを前もって学び、同じ過ちを繰り返さないようにするのは非常に重要です。スポーツの公共性は非常に高いがために、スポーツが一部の利益に利用されるような間違った方向に行かないよう、幅広い視野を持ち続けるのは将来のスポーツ界のリーダーにとっては非常に重要な視点であると思っています。


2010年12月3日金曜日

会社の利益か、社会の利益か~エージェンシー理論とスチュワードシップ理論~(1)


昔、HOOPHYSTERIAに載せて頂いていた記事を載せます。大学3年生の終わりに休学して1年間留学していた時に書いたので、普通であれば大学4年生の時期。自分はビジネスの専門ではありませんでしたが、当時は当時で一生懸命勉強していたんだなぁ、と我ながら関心(笑)今よりも全然知識量が無い中書いていますが、それほどロジックがおかしな点は無いと思います。2回にわけてお届けします。少し訂正が必要な部分は赤字で補足してあります。
(参考図書)
    
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インターンシップも始まってから1ヶ月がたとうとしています。インターンということもあり、アシスタント的な仕事、悪く言えば雑用的な仕事が多いのも確かですが、全部英語なので、雑用とはいえ、かなり英語の勉強にもなっています。さらには現場を直接この目で見られることはかなり大きく、毎日が勉強の日々です。3月の初旬にインターンが終わるのですが、あっという間に時間が過ぎてしまう気がします。

連載の最初のほうで、お金を生み出すことについての姿勢の違いについて日米比較をしました。(順序が前後しますが、先にこれを読んでも特に問題は無いので、後でこれについてはアップします)今回はややスポーツという話から離れますが、もっと踏み込んでビジネスの始点からその理念の根本は何なのかについてを説明したいと思います。ビジネスという概念が注目されスポーツに取り入れられる中、経営の根本的な考え方を知るのはスポーツの将来を考える上で非常に重要だと考えるからです。

アメリカと日本では経営に関し、コンセプトに大きな違いがあります。分かりやすくするためにここで株式会社の仕組みを簡単におさらいした後、エージェンシー理論、スチュワードシップ理論を紹介したいと思います。

まずは株式会社について説明します。世界史で習ったかもしれませんが、世界最初の株式会社は東インド会社だといわれています。17世紀始め香辛料が破格の値段であった時代、貿易で香辛料を輸入すればものすごい儲けが得られたものの、そのために大きな費用が必要でした。大きな船、大量の乗務員、長旅に耐えうる食料、などなどです。しかし船が海賊に合って破壊される、天災にあって沈没するなど、航海には大きなリスクを伴いました。成功したら大儲け、しかし失敗したら大損。当時貿易はギャンブルのようなものでした。そこで発明されたのが、株式です。東インド会社がお金持ちからお金を集めて回ります。「航海にはお金がかかるんです。もし貿易に成功したら、何倍にしてでもお金を返します。だからうちの会社を投資してください。失敗したら痛みわけになりますが、うちの会社は成功率のほうが高いんですよ、信じてください!」というような原理です。逆に伝統的な会社形態の有限会社(20065月の会社法の適用で、有限会社は株式会社の一部となることなりました)は、基本的に自分の手元の資金で経営をやりくりする企業のことを表していました。そのため事業の大きさは基本的に株式会社よりも小さいことになります。

簡単にまとめると、お金儲けできる規模の大きなことをするには大量のお金が必要。そういう事業は儲けも高いがリスクも高い。億万長者か一文無しの二者択一じゃあ一文無しになるのが怖くてやってられない。だから儲けもリスクもみんなで分け合おう。それが株式の基本的な概念です。

ここで理論が二つに分かれます。投資家(株主)がお金を払っているのだから、会社は株主に対してできるだけお金を返せるように努力しなければならない。これがエージェンシー理論です(ちなみにAgencyとは日本語で仲介、代理という意味です)。パワーは株主が持っていて、会社は株主から預かったお金をどうやりくりして、できるだけ増やしてお金を返す(配当)かが最大の焦点になります。(実際は配当だけでなく、値段が上がったあとに株式を売却する事による売却益も入ります)小難しく言うと、企業は株主の利益を最大化するために存在している、というのがエージェンシー理論で、アメリカの多くの企業がこの理念でもって動いています。だからアメリカの講義では「利益を最大化するのが経営だ!」と繰り返し、繰り返し、キーワードとして用いられます。

その一方で、企業が事業を達成するために、株主から資金を募っているのだとするのがスチュワードシップ理論です(Stewardshipとは経営、管理という意味です)。「私たちが達成したいことが第一です。達成にはお金が必要なんです。それに共感してくれて、お金を投資してくれたなら、もちろんお金を増やして返します。」これがスチュワードシップ理論の主な考えです。日本企業ではこの発想が強いといわれています。

エージェンシー理論では、株主のお金を儲けようという動機が、会社を突き動かすことになります。お金が儲けられる企業には投資化が積極的に投資し、企業はどんどんと大きくなり、大きな事業をし、また利益を得、投資をさらに得るというような循環をします。収益をより大きくしていくにはこの理論は有効に働くと思われます。しかしながら、株主の利益と、企業の利益が相容れないときに問題が発生します。たとえば株主がお金を儲けるためだけに多額の投資をしていて、これから企業が収益の低いがより理念に沿った事業を進めたいとします。しかしこの理論下では株主の意向を最優先しなければならないため、もし株主に、「そんな意味のないことをしたら株を全部売るぞ!」といわれたら、事業をあきらめるか、その優先順位を下げねばなりません。(実際は株を売られても、会社の資産残高には影響しません。株価の値下がりによって資金調達が難しくなったり、株主総会で意思決定を否決されたりする可能性があります)もう一つは株主から投資を得ようと、経営者が収益や株価の拡大だけを目的とした非倫理的な行動に出ることがあります。アメリカの超有名企業として知られていたエンロンのケースがまさにそれで、企業が社会一般に公開する報告書に収益を水増しして記載し、それを信じた株主達が投資を加速させました。その結果、莫大な資金がエンロンに集まったものの、正当な配当を返せるだけの実態が伴わず、経済に深刻な経済的なダメージを与えて倒産しました。多くの人たちが大量の資産を失ったといわれています。

続く
(次回投稿)http://hiro-tanaka-19840522.blogspot.com/2010/12/2.html