ようやっと、ようやっとこの日が来た。
7年前、大学4年生の時、バスケ人生の全てを懸けて1年間、最高の仲間とバスケをして、ホンキのバスケにサヨナラしよう、そう思っていた。留学から帰ってきて、こころ弾む4年生の5月、左膝の前十字靭帯を切って全治1年間、ホンキのバスケは一生、僕の人生から消えたと思っていた。
この一ヶ月、自分にとって壮絶な時間だった。僕が膝を怪我し生きる気力を失っていた時に支えてくれた最愛の親友に、不運によって夢が奪い去られる大きな悲劇が訪れて、彼の苦しみと向き合ってきた。
おととい、彼は一つ前に進むことができて、昨日彼と飲み明かしていた。
バスケを支える為に、命を捧げる。怪我する前、NBAのインターンに受かった時に決意したこと。膝の怪我をした後、この勝手に背負った使命から逃げたかった。ホンキでバスケができなかったこと、それは、ホンキでバスケができる人を妬む心の醜さに変わり、そんな小さい自分が、自分をさらに嫌いに、そして小さくしていった。
前十字靭帯を切ったあと、大学時代の最高の仲間と向き合うことができなかった。彼らの最後のホンキのバスケの思い出の中に、僕がいなかったから。バスケに出会わなければよかったという思いが、発作のように、呪いのように僕の体の中を突然襲うことがあった。大好きな大学時代の仲間とすごせば過ごすほど、その痛みは大きくなっていった。
親友の苦しみに寄り添ううちに、一つ、気がついたことがある。前十字の怪我がなければ、彼の苦しみに向き合うことはできなかった。そう思った時、心の底から怪我をしてよかったと思ったのだ。
子供の頃から憧れていたNBAに入るということ。プレーヤーではないけれどNBAのインターンが決まり、子供の頃の夢が叶った時は1人で寂しくて、何か空しかった。僕が本当に欲しかったもの、それは、大切な仲間とホンキで何かをやり抜いた時に、喜びと感動を分かち合えることなんだって、その時に気がついた。そして、強く思った。僕にとっての人生最大の夢、それは大学で出会った最高の仲間とホンキでバスケをすること、ただ、それだけでいいって。
初めて、その夢に破れたことが、誰かの、しかも最愛の友人の苦しみを少しでも和らげることに役に立った。
怪我をしたことが、自分にとって初めて価値のある意味をもった。バスケの呪いが完全に解けた瞬間だった。
もう、あの頃のように高く飛べない。あの頃のように早く走れない。でも、そんなちっぽけなことじゃなかった。僕がしたかったのは、大会場で観客に囲まれてプレーすることではない。年収1億円の収入をバスケで得ることでもない。ただ、今、持つ力を振り絞って、勝利を心の底から信じて、仲間の力を合わせる、その高揚感を、興奮を、感動を、1人のアスリートとして味わいたかっただけなのだ。
あの頃の仲間は1人も死んでいない。みんな生きている。そして僕も、何とか、今、生きている。生きてさえいれば、いつだって僕はアスリートとして、仲間とホンキのバスケができる。夢は砕けてなんかいなかった。
バスケが僕に呪いをかけていたんじゃない。シアトルから帰ってきた時に、2008年卒業のチームのユニフォームを作ってくれて待っていてくれた最高の仲間に、勝手に心を閉ざしていたのは、僕自身だったんだ。
今すぐ、バスケがしたい。大学時代の仲間に会いたくて、震えが止まらない。
7年間、長かった。ようやっと、大好きな自分に出会えた。今は胸を張って言える。バスケに出会えて、本当に、本当に幸せだと。
クソ野郎共、さあ、バスケするぞ。
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