2016年4月13日水曜日

変えるということ、変わるということ

そこに自ら変わろうという意志がなければ、一定の影響を与えることができたとしても、本質的にヒトが変わることはないと思う。

そもそも、ヒトを変えようという行為自体がおこがましいと思うのだ。

道を歩こうとするとき、先導する人、先導に従う人、違う方向に行く人、その場にしゃがみ込む人、歩もうとする人の足を引っ張る人、歩けない人の手を引っ張って歩く人。

それぞれが置かれた状況、置かれた立場で、意識するしないは別として夫々の意思を持って、今を選択している。

大切なのは、そのヒトがなぜ、その行動を取ろうとするのか理解しようとし、時にはその気持ちに寄り添うことだと思うのだ。

夫々の選択の結果、違う場所にたどり着くのであれば、それぞれの自分の現在地を、ただ自分自身が受け入れるしかない。

選択の時が訪れたとき、誰かに選択を押し付けられたとしたら。きっと、いい結果が出たときは自分が受け入れた寛容さの結果と見栄を張り、悪い結果が出たときは誰かのせいにするのだろう。

選択の時が訪れたとき、自分で覚悟を持って選択したのなら、きっと、いい結果が出たときは運がこれほどにも結果を左右することへの真理に驚きと感謝を感じ、悪い結果が出たときはベストを尽くしたのだから仕方がないとすぐに前を向けるのだろう。

そうと分かっていながら、選択は他人に大きく影響を受け、それもまた、一概に悪いこととも言い切れないのが、今を懸命に生きる妙理なのではないかと、そんな風に感じている。