2016年4月24日日曜日

決めることの高揚感

自分で決めることは楽しい。人間誰しもそうだ。「自由裁量が欲しい」「権限を与えてくれ」決める段階のうちはいい。

現実はそんなには甘くはない。決めたあとには遂行が待っている。それは辛く険しい道だ。

身の程知らずが高すぎる山に登って遭難しかけると、人間はどんな山も登らなくなってしまう。最悪の場合には遭難して二度ともどってこない。



負け癖がついた人間は、自分で決めることをしない。仮に、山に登らなければお前はいつか殺されると言われて、どの山に登る自信もなければ「あの山なら登れそうだよ」と言われた山に登ることしかしなくなる。それが、どんな険しい山かも知らずに。ある人は、友達を誘うだろう。家族も連れて行くかもしれない。「おれの上司のオススメなんだ!」と、それがアドバイスをくれた人間に利用され続けるだけの地獄へと続く山かもしれないとも調べもせずに。

じゃあ、負け癖がついたらどうするのか。初めて山に登りたいと思っている時にはどうすればいいのか。

心の底から信頼できる山のスペシャリストに「先ずはこの山から一緒にトライしてみようか?」と、やさしく手を引いて一緒に登ってもらうのだ。

少しずつ難易度をあげ、自分の実力の正確な把握と山の総合的な難易度と攻略のポイントを分析できるようになったら、少しずつ1人でトライをしてみる。



そして、いつか、山を登りたいけれど登山口でモジモジしている人に、そっと声をかけてあげる。「一緒に登りませんか?」と。さらに教える過程を通じて経験は言語化・形式化され、自らの登山のスタイルへの気づきと成長へと昇華していく。


だけれど、稀にエベレストを制覇するような偉人が出てくる。彼らは、そもそも、失敗するかどうかなんて考えていない。山を登ることを心の底から愛し、その挑戦の中で死ぬことになっても何も後悔などしないと心の底から思っているからだ。