2010年10月11日月曜日

優勝!!

昨日、フープワンの大会に出て優勝しました!エンジョイの大会にもかかわらず、空気読まずにめちゃくちゃガチでバスケしちゃいましたが、熱いプレーと笑顔で大会自体を盛り上げることが出来たと思うので、許してっ!
以下URL、絶対俺たちでしょう。
http://hoopone.jp/office/tanoshindeta.html
TAIYAKI BOYZ最高です。3ポイントが最近さっぱり入らないキャプテン兼オーナー、ゴールではなく髪の毛を死守していた会長、開始20秒で謎に指から流血していて交代アピールしていた社長。本当にありがとう御座いましたっ!



強く、感じたことがあるので、吐き出さないと気が済まないので、これから長々と書きます。今頑張っている人、挑戦している人、壁にぶつかったり、夢に破れて苦しんでいる人に特に読んで欲しい。僕がどういう人間かが分かることに加えて、もしかしたら想いを共有できるかもしれないという願いを込めて。

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僕が優勝した経験はこれも含めて二回だけ。同期が卒業するときの追いコンバスケの学年対抗戦と今回の大会。プレーヤーとしてのキャリアは全く輝かしいものじゃなかった。だからこそこの大会で優勝できたのが本当にうれしかった。

中学校の頃、顧問の先生はバスケを初心者で、学校も何かに熱心でもない普通の町立の中学校で、真面目にバスケをやりたい僕には居場所がなかった。キャプテンだったけれど、バスケ部の仲間とはあまり打ち解けられず、引退直後に毎年恒例としてやっているOB戦では、いわゆる「ハブリ」にあって、ほとんど試合に出られなかった。

高校は進学校だったけれど、本当にバスケが大好きな仲間と会えて、バスケに熱中する時間を過ごせた。入学したときは実力的に超下っ端だったけど、誰より体育館に早くきて、誰よりも遅くまで体育館で練習して、教室でもボールを触っていて。二年生になって代替わりの時、コーチに「お前のフットワークがNO1だ」と面と向かって言われて。後輩と一対一の練習してる時も「田中を抜けるようになれ!」と言われて、それが嬉しくてたまらなくて。でも、その直後、ももの肉離れと右肩の脱臼と足首の捻挫を一カ月内にやってしまって。足首には多分ヒビが入っていたのだと思うけれど、努力が逃げていってしまうと思って焦り、テーピングでガチガチに固めてやっていた。日に日に捻挫は悪化して、遂にはベンチに入れないようなプレーヤーになってしまった。調子の良かった頃の自分と比較して、できないのは怪我のせいにして努力もしないでいた。人生は終わったと思うくらい悩んで、全てが真っ暗で、でも、こんな自分は嫌だと思って、ある時もう一回努力しようと決めた。ウチの部は朝練無くて、体育館もその時間には空いてなかったけれど、体育の先生に頼んで体育館を開けてもらって。段々と元の自分を取り戻して来てベンチには入れるようになった。でも最後の大会の二週間前の体育祭、利き腕の左肩を脱臼した。最後の大会はコーチの気遣いで、ベンチで右手で汚い文字でスコアシートを書いて、僕の高校バスケは幕を閉じた。

高校の結果に納得がいかなくて、慶應に仙台高校を全国制覇に導いた志村さんがいて、バスケ雑誌でも注目されていた竹内と酒井 が入学することも知って、SFCに入りたいと思った。必死に勉強してSFCに入った。滑り止めは一つも受けなかった。何年かかっても他の大学にはいく気がなかったから。

結局、大学では体育会にはいったものの、あまりにも勉強することが苦しい環境だったことと、自分の存在は部にとって無価値だと思ったから3カ月で退部した。

でも、その後に入ったサークルの奴らがホントにバスケをが大好きで!自分の学年は弱小でサークル内の対抗戦もぜんぜん勝てなくて、でもほんとうにいい奴らで!負けることばかりだったけど、決して下を向かないでプレーしてきた。二年生になったら自分はキャプテンになって、そしたら一年生に全国ベスト8のガードが入ってくれて。そいつに引き寄せられるように、全国レベルの奴らが他にも入ってくれて。自分が何にも経歴のないプレーヤーにも関わらず、全力でディフェンスしてきてくれて、身長の小さい俺にゴリゴリでポストアップしてくれて。後輩達は俺の気持ちも知っていて、本気でぶつかって来てくれたのが嬉しくてたまらなくて。3年生の終わり、休学して一年間アメリカ留学した時も、こいつらと一緒にバスケできなくなるのだけが本当に寂しくて、アメリカ留学から帰ってきたら最後の四年生の一年間、後輩達と本気でバスケやりきって、本気のバスケにはサヨナラしようと思っていた。大学を卒業したら、もう二度と、このメンバー全員でホンキのバスケをすることはできないから。

一年休学し留学から帰ってきた直後、同期の卒業前のサークルの学年対抗戦。どんなに負けても笑顔でプレーしてきた同期に勝ちをプレゼントしたくて、自分の最後の試合だと思ってプレーした。最後残り二秒、一点差リード、マッチアップしていたベスト8のガードに走られて、必死に追いかけたら最後のミドルシュートの時に、相手の肘が俺の鼻に当たってシュートが外れて、優勝。集合写真取るときは鼻血出まくってたけど、何も言わずについて来てくれた同期に最高のプレゼントができたのが嬉しくてしょうがなくて!

同期は俺が高いレベルでプレーしたかったのも理解者してくれていて、下の学年の奴らと最後の一年間全力でプレーできるのを心の底から喜んでくれた。サークルにも関わらず、朝練もウェイトトレーニングもして、これから最高のバスケができる期待を胸に、ワクワクで一杯だった。

就活も終わり、心弾む5月、練習中に左膝の前十字靭帯を切って、自分の本気のバスケは想像しない形で終止符を打った。医者に手術しないと、もう本気のバスケはできない、手術したら一年間はプレーできないと言われた。卒業まで間に合わないことが分かって意味が分からなかった。一生で一番涙を流したと思う。

「バスケの神様がいるとしたら、何で俺には微笑んてくれないんだろう。バスケが好きな人の為に、たくさん活動もしてきた。なのに何でバスケの神様はこんなに酷いことをするんだろう」

でも、今ならわかる。バスケの神様は自分に成長の機会を与えてくれたんだって。他人の痛みや苦しみが分かる人間になりなさいって。田中裕之という人間をバスケットという枠を越えて大きく成長させるためには、彼が最も愛したバスケットを一度奪い取るしか手段はなかったのだと思う。

中、高、大と納得のいく結果を出せなかった僕にとって、他人から見れば、ちっぽけな大会でも、全力でプレーして、みんなが一つになってプレーできたのが嬉しくて、本気のバスケにまた出会えたのが、うれしくて、うれしくて、うれしくて。。。

朝ゴルフに向う電車の中、昔の辛かった頃、そして昨日の嬉しさを思い出して、ずっと号泣してました。さぞかし気味が悪い人だったと思います。

今何かに挑戦していて苦しんでいる人に、今大好きなことに取り組んでいるけれど将来に繋がるか不安に思っている人に、夢に破れて叶わなくなってしまった人に伝えたい。何かを愛し、頑張り抜いた経験があれば、その過去の結果が大きいものであっても、小さいものであっても、最後まで逃げず、自分自身と向き合う力を与えてくれることを。

どんな嵐も曇り空も、必ず過ぎ去っていく。だから、明日は晴れるかもしれないと、信じるのをやめてはいけない。明日はきっと晴れると、信じ続けるのだ。この地球が始まってから一度だって、晴れの日が訪れなかった場所なんて無い。子供の頃、楽しみにしていた遠足の日に、雨が降って中止になって、とても悲しかったのを覚えている。けれども、雨の日も曇りの日も、どんな日であっても自分の信念とともに歩み続けたことがある人は、激しく長い嵐の後にこそ、突き抜けるような青空が訪れることを知っている。大きな悲しみに包まれ、信念さえも消えてしまいそうな時、そんな時は苦しくて下を向いたっていい。しゃがみ込んで、大泣きしてもいい。けれど、生きてさえいれば、いつの日か、必ず、無限に広がる晴れ空に悲しみがすっと吸い込まれ、太陽が照らす花の香りに温かな気持ちになれる日か来るから。だから、生きていてほしい。


自分が嫌いすぎて、自分がいるだけで周りを暗くさせてしまうんじゃ無いかと思って、この世界を去ってしまった方が楽だと思ったことが僕自身も本当にある。休日も18時間くらい寝ていて、努力もやり尽くしていなかった。でも、一つだけ胸を張って言えるのが、怪我をし本気のバスケを失ってから三年間、決して逃げなかったこと。そして僕はバスケットから離れた今でも、最高に幸せだと思える時間を過ごしている。

もう大学生の頃のように体は動かない。多くてもプレーも一週間に一回しかできない。けれども、本気のバスケもう一度巡り合えた。そしてバスケットはバスケット以外にも大好きなものを沢山くれた。だから、今の僕の幸せは簡単に奪い取ることはできない。

このメッセージが頑張る誰かに届いて、少しでも前に進む勇気を与えられたら。そして、いつかお互いの夢を叶える為に巡り合えたら。そんな想いをこめて。